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ハッブル望遠鏡の功績を振り返る–後継機登場後も活躍する見込み
2022.07.27 11:36
人々の望遠鏡
Caplan氏やLewis氏、Van Arsdall氏、Meyer氏がそうだったように、ハッブルが撮影した紺碧の星雲と黒い筋を含むディープフィールドは、ほぼすべての物理学者のキャリアに明確な影響を及ぼした。それは、NASAの真新しいJWSTに関わっているチームにしても同じことだ。
スティーブンス工科大学の教授で、ジェット推進研究所でエンジニアとして働いた経験もあるJason Rabinovitch氏は、「ハッブルディープフィールドの画像は、子供のときの自分にインスピレーションを与えてくれた」と話す。「それがきっかけで、宇宙と宇宙探査にいつまでも魅了されるようになった」
ハッブルの前途多難で人々を不安にさせた始まりでさえ、人類が宇宙を見つめる理由になった。この銀色の宇宙望遠鏡が1990年に打ち上げられたとき、地球の大気に遮られずにハッブルが観測した宇宙を見られることに誰もが興奮を覚えた。
その後、最初の写真が送られてきた。Meyer氏は、「それらの写真はひどいものだった」と語る。
ハッブルの重要な画像はすべてぼやけていた。Appleの標準のデスクトップスクリーンセーバーにしてもいいほど高画質なJWSTのイータカリーナ星雲や、筆者を感涙させたステファンの五つ子銀河とは比べるべくもないものだった。問題の原因は、ハッブルのレンズであることが判明した。もちろん、ハッブルはすでに宇宙に打ち上げられていた。状況は深刻だった。誰もがストレスを感じていた。それでも、NASAはこの問題から逃げることはしなかった。
NASAは、スペースシャトルを打ち上げて宇宙飛行士を送り込み、ハッブルを修理することに決めた。宇宙で、だ。Meyer氏は、「人々はこれをリアルタイムで見ることができた」と話す。「宇宙にいる宇宙飛行士が宇宙遊泳をしながら、望遠鏡を修理する様子を見ることができた」(同氏)。ハッブルの全盛期に「The people’s telescope」(人々の望遠鏡)という素敵なニックネームが付けられたのは、このような瞬間のおかげだった。
ハッブルは確かに、人々の望遠鏡だった。
「私は子供の頃、スペースシャトルプログラムに魅了され、宇宙飛行士たちがハッブルを修理するのをうっとりしながら見ていた」とVan Arsdall氏。「それは間違いなく、私が航空宇宙エンジニアになったきっかけの1つだった」
星を見せてくれたハッブルに感謝
巨大なシリンダーにアルミホイルを巻き付けたような姿のハッブル宇宙望遠鏡が文化的なアイコンであることは、否定のしようがない。その目的は、映画や書籍、写真、詩、視覚芸術、テレビ、そして、おそらく結婚式の誓いにも浸透している。Caplan氏が言うように、「ハッブルは現代を定義する巨人である」。
「私も子供の頃、『スタートレック』を見ていた。この作品では、ハッブルの画像が画面上の至る所に登場している」とLewis氏。「屋外で過ごすのが大好きな人もいる。私は宇宙にいるのが大好きだ。宇宙を散歩することはできないので、その願いを叶える一番の方法は、ハッブル宇宙望遠鏡のようなものを使用することだった」
しかし、宇宙のごく一部を占めるにすぎない人類が宇宙に魅了されるのは、新しい現象ではない。そして、この二重性はおそらく偶然ではない、と筆者は考えている。自分の生活について空想するのは、現実が空想のように感じられるときの方がはるかに楽しい。
Vincent Van Goghの1889年の作品である「星月夜」を考えてみてほしい。この絵は、キラキラ光る夜空を描いた作品で、プルシアンブルー(紺青)が多用されている。
JWSTは大成功で始まったが、ハッブルを気まぐれで終わらせてはならない。 「彼らはハッブルをシャットダウンしていない」とMeyer氏は語った。
「それは約10年先の話だとわれわれは考えている」
(この記事はCNET Japanからの転載です)