インタビュー

ロケットを開発していたJAXA職員が「小学校の教材」を作った理由–宇宙をきっかけにキャリア教育を変える

2024.09.12 09:00

藤井 涼(編集部)日沼諭史

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 宇宙航空研究開発機構(JAXA)でロケット開発やNASAとの折衝などを担当してきた小谷勲氏は、小学生向けの宇宙関連教材「プラネットクラス」を開発し、2024年度から全国の小学校に提案し始めている。それも、あえて導入ハードルの高い公立の学校にこだわっている。

 教材では、子どもたちに宇宙自体に興味を持ってもらうというよりも、宇宙に関連付けることで勉強をこれまで以上に楽しく、分かりやすくするという狙いがあるという。JAXA職員でありながら、副業で新会社ベンジャミンブランチを立ち上げて始めた新たなチャレンジ。これまでの成果や今後の道筋について話を聞いた。

ベンジャミンブランチ株式会社 CEO/Co-Founder 小谷勲氏

未経験で飛び込んだ教育の世界で感じた「初等教育」の課題

——最初に小谷さんのご経歴を教えていただけますか。

 私はJAXAで長くロケット開発に携わった後、ワシントン駐在事務所でロケットとは異なる業務につきました。実はJAXAは、NASAとすべての部署で協力関係を持っている世界でも希有な国際宇宙機関なのですが、そこでNASAの各部署との調整役として動いてきました。

 私が赴任した2016年は、ちょうど米国で宇宙分野のスタートアップ投資が加速し始めた頃です。日本の企業と協力したいというニーズもありましたので、その支援をしたり、宇宙利用に関わる8カ国の国際合意であるアルテミス合意の調整をしたりするなかで、多くのコネクションもできました。

 日本に戻ってからは宇宙ビジネス、ロケットビジネス、探査ビジネスなどに関わり、月面探査機で知られるispaceさんの支援もさせていただきました。

 そのような業務をこなしていく中で、ある時「将来を見据えた時に日本はどうしていくべきか」と考えました。もっと投資を呼び込んでビジネスの裾野を広げることも重要ですが、“人”をどうやって育てていくのか、というのも常に大きな課題です。

 そこで、JAXAの職員に出向などの形で外部企業に出てビジネスを学んできてもらったり、宇宙領域以外の方に宇宙関連のスタートアップに関心を持ってもらえるよう転職イベントを実施したりするなど、いろいろな取り組みをしてきました。

 ただ、もっと長い目で見たときには、今の子どもたちが宇宙に興味を持って、将来宇宙の仕事をしたいと思えるような環境を作っていかなきゃいけない。じゃあ、そもそも子どもたちは宇宙にどれくらい興味があるのだろうかと思って、教育について調べ始めたんです。

——そこから子どもの教育に宇宙を取り入れたい、というところにつながっていくわけですね。

 当時からSpaceBDさんが学生から社会人までを対象にした宇宙教育を先駆的にやられていましたよね。SpaceBDさんには直接お話を伺ったこともあるのですが、日本の教育に新しいものを取り入れてもらうのは簡単ではないと。現代では特に、宇宙のみならず、いろいろな新しい分野が加速度的に社会を作り上げていくなかで、そういうことを子どもたちがどんどんインプットしていける機会を作っていかなきゃならないのに、スピード感をもって対応できない状況なんです。

 たとえば、小学校の学習指導要領は10年に1回の改定で、教科書も4年も同じものを使っています。改定時もルールがあってなかなか新しい情報を入れにくい。そんな難しい環境だけれども、まずは私が自ら教育分野に飛び込んでみようと。失敗してもいいから、とにかく自分でやって暴れ回ってみて、何が課題なのかを身をもって実感したうえで、うまくいけばその道のりをみんながたどればいいと思いました。

 そういう気持ちで、30年来の知人である江辺邦子とベンジャミンブランチという会社を立ち上げました。彼女はIT業界の人間で、あらゆる分野の企業とコネクションがあります。僕の宇宙分野のつながりと知識をそれとうまく融合させたらチャンスがあるんじゃないかと思いました。

——実際に自身で教育という分野に関わってみていかがでしたか。

 教育業界は何も知らないのでまさに手探りでした。ドアノックするにもどこにアプローチしていいのかわからず、つながりのある文部科学省や経済産業省に行ってみたり。いろいろなところに話を聞きに行くものの、教育を変えるのはなかなか難しそうだな、と感じましたね。

 たとえば、ICT推進でタブレット端末を学校に配ったところで、重要なのはタブレットで何をするのか、コンテンツはあるのかです。子どもたちより前に、先生たちがタブレットを使えるようにITリテラシーを上げなければならないという問題もあります。

 経済産業省が「未来の教室」というウェブサイトで子どもの教育コンテンツを集めているものの、それを全国の先生方にすぐに使ってもらおうとしても難しい。先生方は、子どもたちにこの授業で何を学んでもらい、何を発見してもらって、学習効果はどうなるのか、という内容をまとめた授業計画を作るのが通常なんですが、サンプルはあってもとくかく時間がなく、なかなか作れないんですよね。

 タブレットとコンテンツがあっても、リテラシーの問題や使い方の問題で進まないというのが、文科省や経産省、小学校などを行脚してだんだんわかってきて、それをもとに初めてわれわれの教材の授業計画を作りました。ベンジャミンブランチでは、とにかく先生に手間をかけさせないことを第一にして、宇宙をどう使って教育を広げていけるかを起点に考えています。

「公立小学校」にこだわっている理由とは

——現在は小学生に的を絞って教材を提供していますが、その理由はなんでしょう。

 大きく分けると2つあって、1つは今の小学生が宇宙に関する知識をほとんど持っていないことです。私自身、JAXA職員という立場から小・中・高校で講演や授業をしてきたのですが、私が15~16年前に種ヶ島に着任した1年目、地元の小学校で講演をしたとき、みんなロケットのことを知っているだろうなと思ったら何も知らなかったんですね。

 種ヶ島宇宙センターから一番近いところにある学校で、間近でたびたびロケットが打ち上がっているのにです。種子島から打ち上げるロケットで何を運んでいるかを聞いたら「宇宙飛行士」と答えますし、宇宙飛行士がどこに乗っているかを聞いたらロケットの真ん中あたりを指差したりする。

 ロケットの構造や、ロケットが何の役割を持っているかをわからないまま、轟音と共に上がるロケットを眺めている。これは問題だなとすごく思ったんですね。まずそれが1つの大きなきっかけでした。

 もう1つも種子島絡みなのですが、夏休みに全国から種ヶ島宇宙センターに集まってきた子たちがサマーキャンプをしていて、そこで私もいろいろと教えたのですが、その後ワシントンに駐在していた頃に「会いたかったです」と突然言ってきた大学生がいたんです。

 私は覚えていなかったんですけど、どうやら種ヶ島のサマーキャンプで出会っていて、私の講演を聞いたのをきっかけにロケットに興味を持ち始めて、そこからロケット工学の道に進み、今度JAXAの入社試験を受けるんだと。えらく感動したのと同時に、これはすごく大事なことだなと思ったんです。

 つまり、高校生のような世代の子どもに宇宙について広めていくのも大事ですが、それよりもっと小さい頃から彼ら・彼女らの興味関心を引き出して、成長とともにその度合いを高めて、自分で進むべき道を自分で考えて宇宙を目指す、いわゆるキャリア教育のようなプロセスが大事なんだなと。そういうことがあって、私としては初等教育で宇宙のことをインプットしてあげたいと思ったんです。

――そのうえで、今のところ私立ではなく、公立の小学校だけに展開していますね。

 小学校は全国に2万校あって、そのうちの1割が私立です。正直なところ、予算の使い方は公立より自由度が高いので、私立を対象にした方がビジネスとしてはやりやすい。ただ、そこでビジネスモデルができあがってしまうとそれに甘んじてしまいますし、「私立のこの学校が導入しましたよ」と言っても、結局のところ9割ある公立には響かないんです。

教育って都心だけの話じゃなくて、地方の学校も含めて全国でやらないといけないものです。今は儲けたいのではなく道筋を作ることが目的で、それができなければ意味がないと思っています。

——海外と比べたときに初等教育での宇宙の扱いには違いがありますか。

 実は日本の小学1年生から6年生の教科書を端から端まで読んでみたんです。何ページ分宇宙のことが書いてあるかなと思ったら、全部で十数ページしかありませんでした。しかも星座の話だったり、太陽の話だったり、一般的な話がその大半で、ごく一部に宇宙飛行士や国際宇宙ステーションの話があったくらい。

 これで子どもたちが将来社会人になって、世界では宇宙が当たり前の認識になってきたときに、それだけの知識でやっていけるのかと言えば、無理だろうなと思いました。

 一方で米国を見てみると、NASAの各部門がキャリア教育やSTEM教育の教材を提供していて、政府もそのためのプラットフォームを用意するなど、かなり力を入れているんです。いろいろな企業がCSR活動の一環などで動画を作って、そのプラットフォームに登録しています。

 ディズニーとかピクサーとか、有名なキャラクターを採用したたくさんの動画を子どもたちがいつでも自由に見られて、自宅学習できる環境が整っています。通常の授業でもそのプラットフォームを活用して、課題などもオンラインで提出していたりします。長い夏休み期間を使って自由課題で自らそれらのコンテンツを使って探求する、といったこともできるようになっています。

 そんな風に小学校の教育でインプットがないと子どもたちには興味すらもってもらえない。興味がわきさえすれば、子どもたちは自分でめちゃくちゃ調べるんですよね。なので、そういうインプットを日本でも早い段階から提供してあげなければと思うんです。

教科書と宇宙を関連付けることで効果的な学習ツールに

――ベンジャミンブランチの教材である「プラネットクラス」の特徴について詳しく教えていただけますか。

 先ほど言ったように、一番大事なのは先生に手間をかけさせないことで、そのうえで子どもたちに無理なくインプットできるようにしなければいけないと考えています。ただ、単に知識を押し付けるような授業だと教育的に意味がないとも私は思っています。

 そういうこともあって、教材の中身を考えるうえで、私自身、小学校の教科書を読むのと並行して学習指導要領も読んでみたんです。文章はすごく堅いし、慣れていないと読みにくいんですが、内容としてはめちゃくちゃよくできていると感じました。研鑽に研鑽を重ねて作られてきていることがわかります。

 小学校の6年間に何をしなければいけないかが深く分析されていて、これさえやれば卒業までに必要な学習は整うんです。ただし、問題はそれをこなす子どもたちのモチベーションですよね。やる気が出なかったり、すんなり頭に入ってこなかったりすることもあると思います。

 対して、宇宙というテーマだと子どもたちは強く興味を持ってくれます。そのモチベーションを利用して、既存の教科書の学習内容と宇宙をうまく結びつけてあげれば面白いんじゃないかと考えました。たとえば、三角形の相似則を使うことで「月までの距離」のように定規では測れないものも計算できます。それを教えると「相似ってなんか難しそうだけれど、こんなに便利に使えるんだな」って気付いてもらえるんですよね。

 ほかにも、社会の教科書には環境問題に関することが何度も出てくるんですが、なぜ環境問題が起きているかはあまり書かれていません。でも、ここで人工衛星の観測データとか、温度や二酸化炭素の排出量まで見せていくと、なるほど地球は時間とともにどんどん環境が変化しているんだな、というのが理解できます。

 そんな感じで教科書の中身と宇宙関連の要素を1つ1つ関連づけていくと、子どもたちが自分が今何を学んでいるかということをよく理解できるようになります。教材の作りとしては、そういう風に別のものに関連付けて考えるという癖をつけてもらえるようにする狙いもあります。

――宇宙そのものを学んでもらうというよりは、授業に関連付けることで結果的に子どもたちが宇宙に関心を持つきっかけにしたいと。

 そうです。正確には宇宙教育の教材ではなくて、あくまでも宇宙をうまく使って日常の教科書学習をより興味深くするためのツールだと考えています。学校の先生方に授業を見ていただくと、たしかに教科書の内容にかなり沿って作っていますね、とおっしゃっていただけるんですよね。

「プラネットクラス」の教材の中身を紹介する小谷氏

――教材の構成についても教えていただけますか。

 国語・算数・理科・社会の主要4教科に対して、4年生から6年生まで各学年の3学期分のコンテンツを用意しています。1学年あたり12コンテンツ、3学年分で計36コンテンツとなります。これらコンテンツ1つずつについて、動画と、タブレットで表示できる十数ページ分のPDFがあります。それと、先生方が授業計画を作れるようにするための教育指導方法というガイドライン的な資料もあります。1コンテンツあたりの年間利用料は1万円ですので、3学年分で年間36万円での提供となります。

――現在の学校への導入状況はいかがでしょう。

 2024年4月から教材提供を開始しましたが、今はいくつかの小学校で使っていただいています。そのなかでは東京都の大田区の2校が、地域の学校を支援する財団法人から導入されています。

 小学校では総合的な学習の時間として「探求学習」というものがあります。毎年探求するテーマを決めて、課題を見つけ出し、解決策を発見して発表するという内容なのですが、そこで「宇宙」をテーマにした地域の学校にわれわれの教材を導入していただけました。私も時々そこへ行って講演するなどしてインプットを提供しているところです。

 宇宙にゆかりのある地域の小学校でも使っていただいていますし、共同研究の形で導入されている学校も1校あります。学校の中でこの宇宙教材をどう活用していくのが良いのか、小学校の中で実践しながら試行錯誤しています。また、他にも民間ロケットの射場もある北海道や、和歌山県でも地元の会社さんに協力いただきながら広げていこうとしています。

――実際に利用している学校や先生から感想は届いていますか。

 いいね半分、課題半分という感じです。子どもたちの集中力や関心度合いが普段と全然違って、理解力も上がっているという感想もありながら、課題も同じくらいの数があります。一番の課題はどのタイミングで授業をやるかという運用方法ですね。

 現在の通常授業のカリキュラムも余裕があるわけではありません。台風などで休校になることも見越して予備時間を設けていたりしますが、子どもたちの様子を見ながら進めると、本当は1コマで終わらせなければいけない授業に2コマ3コマかかってしまうこともあって、予備時間が不足することもあるくらいです。

 ただ、急に自習時間ができたりしても、そうしたタイミングでわれわれの教材を使った授業を差し込めますし、先ほどお話しした「探求の授業」で利用する方法もあります。あとは不登校の児童に対して、自宅でタブレットを使ってもらって動画で教えるという使い方も提案しています。それで学習意欲を高めるきっかけになってくれればと思っているんです。

コンテンツ制作にかかるコストも大きな課題

――36コンテンツある教材ですが、定期的に更新されていくのでしょうか。

 教材は毎年更新する予定です。ただ、1コンテンツ作るだけでもものすごくお金がかかるんですよね。特にデザインはすごく大事で、デザインが良くないと頭に入ってこないし、面白そうでもないし、わかりにくい。子どもたちを引き付けるデザインのキャラクターを作るのは必須条件みたいなもので、それをやろうとするとどうしてもコストが大きくなります。なので全教材は一気に更新できないとしても、最低限国語のコンテンツは変えるつもりです。

 国語のコンテンツは読み聞かせがメインで、自分たちである程度作れるところもあります。イプシロンロケットを題材に「プロジェクトを立ち上げるとはどういうことか」という話を作ったり、(衛星データベンチャーの)天地人さんに全面的にご協力いただいて「宇宙ビジネス」をテーマにした物語を入れたり。アーカイブを貯めていけば他にもいろいろ使えるので、ここは最低限アップデートしていこうとしています。

――最後に、今後の具体的な目標などがありましたら教えてください。

 先ほど言った通り1コンテンツの年間利用料が1万円で、教材の価格としてはかなり安くしています。現在導入されている学校の多くは、財団法人や地元企業の協力を得ることで予算を捻出していただいていますが、本質的には自治体の教育予算からこういった学習にお金を割く道筋を作らないといけません。そこの道筋が作れるいい塩梅の費用というのは、だいたい一定の範囲になりますので、いろいろとヒアリングしながら設定した価格ではありますが、われわれとしては現在の料金が下限ではあります。

 これをベースにすると、損益分岐点となるのは125校ですので、そこを超えるのが当面の目標です。定常的に使ってくれる学校が増えて実績が積み上がれば、他の学校の状況を気にする学校も多いので、こちらとしても営業で提案しやすくなります。ただ学校も教育委員会もリソースが足りない。先生たちが忙しすぎるのも大きな問題なので、そこに何か一石を投じないと、とも思っているところです。

 学校教育にはいろいろな課題がありますが、宇宙をきっかけに子どもたちの学ぶ意欲を高めていきたい、というのが思いです。小学校はもちろんのこと、地域の子どもたちを支援したい会社さんなど、もしご興味がありましたら当社(ベンジャミンブランチ)のウェブサイトからお問い合わせいただければと思います。

 

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