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GAFAも取り入れたトヨタの「チーフエンジニア制度」との比較–共通点と3つの違いから学ぶ

2024.05.08 09:00

田中猪夫

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 日本の「ロケットの父」として知られる糸川英夫氏は、宇宙開発以外にも、脳波測定器やバイオリン製作など生涯にわたり多分野で活躍をしたイノベーターだった。この連載では、糸川氏が主宰した「組織工学研究会」において、10年以上にわたり同氏を間近で見てきた筆者が、イノベーションを生み出すための手法や組織づくりについて解説する。

GAFAも学んだトヨタの「チーフエンジニア制度」

 拙著『糸川英夫のイノベーション』を読まれたトヨタ自動車の元チーフエンジニアの方から、糸川英夫のイノベーション(創造性組織工学※)におけるプロフェッショナル・マネージャー(PM)の5つのジョブディスクリプション※が、トヨタのチーフエンジニアの職務要件とそっくりだ、という大変貴重な感想をいただいた。

創造性組織工学(Creative Organized Technology)とは、宇宙ビジネスのような新事業、新ビジネス、新商品、新システムを生みだすためのHow to innovate(イノベーションの方法)を指す。

5つのジョブディスクリプションとは、(1)ゼネラリストであること、(2)すべてのメンバーと等距離でつきあう、(3)イマジネーションのない人は失格、(4)クールなドリーマーたれ、(5)WOG(Written、Oral、Graphic)の能力がある。

 トヨタのチーフエンジニア(CE)とは、担当車種に関する企画、開発、生産・販売のすべての守備範囲を委ねられ、全決定権と全責任を担う役割を指す。欧米では「Shusa」(主査、現在のCE)という英語になっており、GAFAがプロダクトマネージャー制度としてすでに導入している。GAFAの利益はもちろん、年間4兆円を超すトヨタの利益の90%以上は、売れるクルマの設計情報を創造するCEが生み出すと言われている。つまり、トヨタのコア・コンピタンス(固有技術)だ。

 ロケットと自動車と生み出すものは違うが、2つのイノベーションの方法を比較してみると、Creative Organized Technologyのフローチャートのインサイトから使命分析までの流れは、トヨタの商品企画、製品企画のCEイメージやCE構想の前半と似ている。(参考:『トヨタのチーフエンジニアの仕事』)しかし、現状分析からは違いが明らかになってくる。理由は単純で、ロケットは少量生産品、自動車は量産品だからだ。そこで今回は、トヨタのCE制度と糸川英夫の創造性組織工学を比較し、3つの違いと組み合わせの可能性を考察してみる。

 トヨタやGAFA、日本のロケット開発と同じように、自社内にイノベーションの方法をコア・コンピタンス(固有技術)として持つことは、利益の源泉になり、宇宙ビジネスのような新事業、新ビジネス、新商品、新システムを生み出し、将来にもつながるのである。

「CE制度」と「創造性組織工学」の3つの違い

 トヨタにCE制度をビルトインしたのは、立川飛行機出身の長谷川龍雄氏だ。糸川さんと同じ飛行機屋だ。初代クラウンや初代カローラを発売する前のトヨタは、有効なイノベーションの方法(新車両開発の仕組み)がなかった。そのため長谷川龍雄氏は、航空業界のチーフデザイナー制度を主査制度(現在のCE制度)としてトヨタに持ち込んだ。それは豊田英二氏(当時常務取締役)によって承認され、1953年に恒常的な社内制度となった。

 ロケット開発のAVSAプロジェクトが開始されたのも同じ1953年だ。つまり、トヨタのCE制度も糸川英夫の創造性組織工学も、同じ年に体系づくりがはじまったのである。

 この2つには次の3つの違いがある。

(1)恒常的な組織とアドホックチーム※

(2)固有技術とポータブルスキル

(3)既知対象と未知対象

アドホック(ad hoc)とは「限定目的の、暫定的な」を意味する。「アドホックチーム」とは創造性組織工学(Creative Organized Technology)の用語で、限定目的の創造的なプロジェクトチームを指す。

(1)恒常的な組織とアドホックチームの違い

 CE制度の場合、CEという役職名が与えられ、所属組織は次のように変遷している。

 1950年〜1960年代 主査室(主査4から6人の規模)

 1970年〜1980年代 製品企画室(主査10〜20人の規模)

 1990年代〜     開発センター(主査からCEに名称変更)

 創造性組織工学では、所属組織(東大)から役職名が与えられるのではなく、AVSAとネーミングされたアドホックチームからはじまり、そのメンバーを束ねる役割をプロフェッショナルマネージャー(PM)と呼ぶ。その後、アドホックチームは、宇宙科学研究所(ISAS)からJAXAという恒常的な組織に変遷していった。

役職名:CE/プロフェッショナルマネージャー(PM)

組織:主査室/AVSA(1953年〜)

仕組み:CE制度/創造性組織工学

 CE制度が成功したのは、豊田英二氏というリーダーの存在が大きい。長谷川龍雄氏という部下からの提案を承認しただけでなく、次のように位置づけを明確にしている。

「担当車種に関しては、主査が社長であり、社長は主査の助っ人である」

「主査自身が販売予測し、自分と営業とでどちらが正しいかを競え」

 トヨタの場合は、恒常的なCE制度と新しい部門(主査室)をつくった。一方、東大のような国立大学では、新しい恒常的な部門を新設するより、ロケット開発に限定した暫定的なアドホックチーム(AVSA)をつくり、既成事実を積み重ねた方が早いと考えた。これが第1の違いだ。

(2)固有技術とポータブルスキルの違い

 CE制度では、CEが担当車種の企画、開発、生産・販売のすべての責任を担う。その中で、もっとも重要なCEの役割は「原価企画」だ。トヨタの社内では次の定式が常識化している。

売価 − 利益 = コスト(原価)

 ターゲット購買層から導き出された車両販売価格帯が決まっているだけでなく、会社全体の利益計画から車種ごとに利益の分担額が示されている。つまり、売価と利益は車両を設計する前に決定しているのだ。トヨタには、原価+利益=売価という積み上げの定式は存在しない。

 量産したときに、顧客ニードに合致した価格で、会社に必要な利益が生まれるための原価にする活動そのものがCEの役割で、原価企画なのだ。だから、利益創造ともいう。

 原価企画では、コストは初期段階の製品の中にあり、後から取り除くことは難しいというコンセンサスがある。ターゲットコストになるように車両のすべての部品を設計する(Design to Cost)。そのためのインフラとして、調査した他社の車両部品を含めたすべての部品原価が、データベース化されている。数万点の部品から構成される自動車は、1次部品として、ボディ、シャーシ、エンジン、ドライブトレインなどの構成要素に分類できる。これらは2次部品、3次部品、4次部品などで組み立てられている。

 このようなCE制度は、自動車の量産に最適化されたシステムだと言える。車両の新しい価値を創造する能力がある人間と、売れる自動車を設計するために最適化されたCE制度という固有技術があって、莫大な利益を生み出しているのがトヨタなのだ。

 一方、創造性組織工学は、『糸川英夫のイノベーション』でも示したように、飛行機、バイオリン、ロケットなどに応用できるため、ポータブルスキルとして位置づけられる。Creative Organized Technologyのフローチャートの最後に「生産」というフェーズがあるように、企画・設計段階で量産を密接に意識していない。そのため、少量生産のハードウェアやインサイトからの要求定義を必要とするソフトウェア、新しい仕事の仕組みやシステムなどの創造に向くということになる。これが第2の違いだ。

(3)既知対象と未知対象の違い

 航空機の構成要素の一部を列挙すると、次のようになる。

・旅客機の構成要素:胴体、主翼、エンジン、尾翼、舵面、着陸装置、コックピット

・胴体の構成要素:客室、貨物室

・客室の構成要素:圧力隔壁、エアコン、座席、ドア・通路、トイレ・ギャレー

・座席の構成要素:読書灯、映像・音響装置など

 ライト兄弟の時代の飛行機には読書灯がなかった。馬車やT型フォードにはカーナビはなかった。つまり、飛行機も自動車も、技術進化の歴史を経て、現在のある程度固定化された構成要素になっているのである。まったく新しいものを考えるとき、構成要素が決まっていないのが普通だ。創造性組織工学では、この構成要素を決めるプロセスを「現状分析」という。

 たとえば、和食のランチ定食の構成要素を「主食」「主菜」「副菜」「汁物」と4つにわける。あるいは、「丼もの」「汁物」「お新香」と3つにわけてもいい。このように、対象とするものの構成要素そのものにも、オルタナティブ(代替案)があってもいいと考えるのが、創造性組織工学である。

 つまり、構成要素がある程度決まった既知のものを対象にするのがCE制度、現状分析フェーズで構成要素そのものにオルタナティブがある未知のものを対象にするのが創造性組織工学、ということになる。これが第3の違いだ。

組み合わせで「相乗効果」が生まれる

 トヨタのCE制度と糸川英夫の創造性組織工学の違いを、さらに詳細に分析していくと、部品のコスト的オルタナティブを「設計VE」で出すのか、多様な人材による「システム合成・分析」で出すのか、あるいは組み合わせることができるのか。ここでは詳しくは触れないが、組み合わせると相乗効果が生まれるというのが、私の仮説だ。

 次回は、よく当たる糸川英夫の未来予測から、宇宙事業、宇宙ビジネスのリスクマネジメントを考えてみたい。

【著者プロフィール:田中猪夫】

 岐阜県生まれ。糸川英夫博士の主催する「組織工学研究会」が閉鎖されるまでの10年間を支えた事務局員。Creative Organized Technologyを専門とするシステム工学屋。

糸川英夫氏(左)と田中猪夫氏(右)。組織工学研究会の忘年会にて(1989年)

 大学をドロップ・アウトし、20代には、当時トップシェアのパソコンデータベースによるIT企業を起業。 30代には、イスラエル・テクノロジーのマーケット・エントリーに尽力。日本のVC初のイスラエル投資を成功させる。 40代には、当時世界トップクラスのデジタルマーケティングツールベンダーのカントリーマネジャーを10年続ける。50代からはグローバルビジネスにおけるリスクマネジメント業界に転身。60代の現在は、Creative Organized Technology LLCのGeneral Manager。

 ほぼ10年ごとに、まったく異質な仕事にたずさわることで、ビジネスにおけるCreative Organized Technologyの実践フィールドを拡張し続けている。「Creative Organized Technology研究会」を主催・運営。主な著書『仕事を減らす』(サンマーク出版)『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』(日経BP)『あたらしい死海のほとり』(KDP)、問い合わせはこちらまで。

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