特集

日本人初の「宇宙旅行」申込者、稲波紀明氏がいよいよ宇宙へ–18年続いた「遠足の前日」で得た特別すぎる経験とは?

2023.09.06 09:00

藤井 涼(編集部)藤川理絵

facebook X(旧Twitter) line

 民間の宇宙旅行者も増え、少しずつ私たちの距離が近づいている「宇宙」。とはいえ、まだまだ遠い世界の出来事と捉えている人も多いだろう。では、いま宇宙に携わっている人々は、どのようなきっかけで宇宙と接点を持ち、それを生業とするようになったのか。この連載では、さまざまな分野で活躍する「宇宙人(ビト)」の原点を聞くことで、読者の皆さんの宇宙への見方が変わるヒントをお届けする。

 2023年8月11日、米Virgin Galactic(以下、ヴァージン・ギャラクティック)が遂に、同社初となる民間人の乗客を乗せ、商業宇宙旅行2回目を成功させた。実は日本に、この宇宙旅行の権利を持ち、18年間も待ち続けている人物がいる。2022年に宇宙ベンチャー INAMI Space Laboratory を立ち上げた稲波紀明氏だ。

INAMI Space Laboratory代表の稲波紀明氏

 「2005年に日本人として初めて宇宙旅行に申し込んだ。世界中見渡しても、サラリーマンは私ひとり」と笑う稲波氏。当初行くはずだった2008年から延期が続くが、いよいよ2023年または2024年には宇宙旅行が実現する見込みだ。そんな同氏に、申込時のエピソードや、宇宙旅行を待ち続けた18年間で得たという数々の特別な経験、出発が迫った現在の心境などを聞いた。

当選した時は「詐欺かと思った

――まず最初に、稲波さんご自身の紹介をお願いします。

 私は1977年生まれで、大学で宇宙物理を勉強したのち、2002年に新卒で外資系の大手IT企業にエンジニア職で入社しました。2005年に、ヴァージン・ギャラクティックの宇宙旅行が募集された時に応募したら、宇宙船もまだないのに20万ドル払う人はほとんど誰もいませんでした。最初に当選された方は家族の反対でキャンセルされたので、繰り上がり当選して、20年近く待って、ようやくそろそろ行くことができそうです。

――もともと宇宙が好きだったのでしょうか?

 そうですね。小学2年生のときにハレー彗星を見て、僕が望遠鏡を覗いている写真が新聞に載っていたので、昔から宇宙は好きだったんだと思います。中学高校は授業を全然聞かないで雑誌のNewtonばかり読んでいて、大学では相対性理論なども勉強していました。なので、昔から宇宙のことは考えていたのですが、宇宙論は難しすぎることもあり、きっと学者にはなれないだろうなと思いながら過ごしていましたね。

――実際に宇宙を仕事にするのは、当時は大変でしたよね。

 はい。大学では、たとえば5次元と9次元のブラックホール同士がぶつかったらどうなるのか、シミュレーションするんですよ。数式上は何か出てくるけれど、具体的なイメージが全く湧かないし、それをどう仕事に生かすのかも全くわからない、そこで普通に就職活動して、外資系の大手IT企業を1社だけ受けて、採用されたので入社しました。

――1社だけ応募して採用されるのもすごいですね。その後、大手IT企業の在籍時に、宇宙旅行に申し込んだわけですが、きっかけは?

 エンジニア職として入社して、当時は朝から晩までかなりハードに働いていたのですが、ある日ふとYahoo! ニュースを見たときに、「宇宙旅行募集」って載っていたんですよ。現実逃避するように、見た瞬間に応募しました(笑)

――海外企業の宇宙旅行ですが、すんなり応募できたのでしょうか?

 日本のクラブツーリズムが代理店をしていたので、すぐに応募できました。世界で100名が募集されましたが、日本人の枠は1名しかなくて、「みんな申し込むだろうから絶対当選しない」と思っていたんですが、実際には応募者数はそんなに多くなかったようです。お金がかかるのと、当時はそもそも宇宙旅行が何なのか、みんな分かっていなかったので。

――当時の応募金額はいくらでしたか?

 20万ドルです。当時の為替だと2300万円くらいですね。一応、キャンセルすると全額返金されるので、いまキャンセルすると3000万円くらいになって戻ってきます(笑)

――ある意味で投資ですね。

 そうですね。宇宙旅行者ってリスクを負っているように見られますけど、そもそもまだ行っていないので、実は何のリスクも負っていません。かつ、待っている18年間は毎年のようにいろいろなプレゼントをもらっていて、普段なら出会えないような人にもたくさん出会うことができました。

――ちなみに当選者はどのようにして選ばれたのでしょうか?

 くじ引きでした。箱のなかに応募者のイニシャルが書かれた札が入っていて、クラブツーリズムの方が札を引いていくんです。その順番で当選の優先順位が決まるルールで、私は二番手だったので、抽選会では落選ですね。でも、一番手の方がキャンセルして、繰り上がりで当選しました。

宇宙旅行を通じて「周りの人を理解できた」

――それは幸運ですね。当選が決まった際には「即答」されたのでしょうか?

 いえ。抽選会が終わって、帰る途中にお蕎麦を食べていると、クラブツーリズムから電話がかかってきて、「宇宙旅行に当選しました、おめでとうございます。今すぐ20万ドル支払ってください」って言われて。「これ、絶対嘘だろ」と思って、いったん電話を切ったんです。「初の宇宙旅行詐欺にかかってるよ」と思いつつ、こちらから折り返して、本当だと分かったので、そこから初めて「宇宙旅行どうしようか」と真面目に考え始めました。

 まず、親に相談すると大反対でした。当時ちょうど、スペースシャトル「コロンビア」の空中分解事故などがテレビで放送されていて、「宇宙に行くのは危険だ」というイメージが世の中の一般的な認識だったので、親からするとお金を払って危険を犯すことに、全くメリットを感じなかったようです。

 当時の上司にも相談しましたが、「宇宙に行く」と言ったら、「いや、すでにお前の頭が宇宙に行ってるよ」と、わけの分からないことを言われて(笑)。友達にも相談したら、「宇宙の塵になってこい」と。やはり友達などは面白いからネタにしようという反応でした。

――そういった周囲の反応についてどう感じましたか?

 親はやっぱり、僕のことを本当に心配して、真剣に反対してくれたんだと思いました。「そんなに自分のことを考えてくれていたのか」と。ただ、親がこんなに反対するのは、よっぽどのことだなと思って「むしろ大反対を押し切って、宇宙に行こう」と思いました。

 あと当時の社長にも会いに行って、「宇宙旅行に行っていいですか」と聞いたら、一瞬考えて「行ってこい」って言ってくれたんですよ。やはり経営者というのは視点が違うのだなと思いました。

――宇宙旅行を通じて、自分と周囲の人との関係性を判別できたのですね。ところで、稲波さん以外には、どのような方が当選したのでしょう。

 普通のサラリーマンは、世界でも私だけでしたよ(笑)。大体の年齢層は、当時60歳以上の方が多くて、ハリウッド俳優や経営者、退役軍人の方などもいました。

待ち続けた18年間で得た「特別すぎる経験」

――宇宙旅行に当選してから、18年間の過ごし方について教えてください。

 この18年間で、「宇宙船が墜落して、行けなくなるかもしれない」みたいな話も、途中で何回もありましたし、そういうタイミングでキャンセルする人もいました。宇宙旅行者って、申し込んだ後にいろんな人から、「やめとけ」って言われるんですよ。そういうアドバイスをまともに聞くとね。

 でも、そういう人たちも、また申し込んでいました(笑)。ファウンダー枠はなくなるけれど、2回目の申込だからって、ちょっと安くしてくれるみたいな話もあったようです。いまはもう6000万円くらい払わないと、申し込めないみたいですが。

 だから、僕も途中でキャンセルしたくなる瞬間は何度もあったけれども、キャンセルせずにずっと待ち続けた。これは1つ大きなポイントです。

――宇宙旅行者同士で、連絡は取り合っていたのですね。

 宇宙旅行者同士は、もう20年近いつながりがあるので、連絡もよく取り合っています。みんなでどうしようかと相談して、「やっぱりキャンセルするのはやめよう」と話し合ったこともありましたね。

――ヴァージン・ギャラクティックとはどのようなやり取りがありましたか?

 (創業者の)リチャード・ブランソンに会うと、毎年、毎年、「もうすぐ行けるよ」って話をされて。ヴァージンからくる連絡も、「もうすぐ行けるよ」って内容が書いてあって。だから自分も鵜呑みにして、もうすぐ行けるんだと思ってましたよ。でも、2008年と言われていたのが、少しずつ延期して、結局それが18年間ずっと続いてるみたいな感じです。

――ヴァージン・ギャラクティックからは毎年イベントにも招待されていたそうですが、やはりそれはキャンセルされないように?

 そうそう。宇宙旅行者が盛り上がるようなイベントが目白押しでした。たとえば、宇宙旅行の母船が公開された、スペースポート公開の年だ、ロケットエンジンを作った、室内のモックアップを作ったから見にきてよみたいな。

――なんとカリブ海にも行ったそうですね。

 宇宙旅行に申し込んだ翌年には、カリブ海のリチャード・ブランソンの家にも招待されて遊びに行きました。ネッカーアイランドというリゾート地なんですけど、もともとカリブ海の無人島だったところをリチャードが3000万円近くで買って、リゾート地に作り替えました。世界的に有名な避暑地で、本当に楽園みたいなところですけど、そこに来いよと言われて。びっくりしたのは、メールの一番下に請求書があったことです。招待されているのに、自腹なんだって(笑)

――結果的に20万ドル以上の出費があったわけですね(笑)。宇宙旅行の権利を買って、一番よかったことは何ですか?

 あまり考えたことはなかったですけど、権利を持っているだけで何のリスクも追ってないじゃないですか。そして、定期的にヴァージンからいろいろなプレゼントをもらえてイベントにも参加できて、よかったことばかりですよね。

 一番よかったのは、世界中の富裕層というか、普段なら出会えないような方々に出会えたことです。リチャードと一緒に1週間も生活ができる、それだけでも面白くて。朝食を食べているとリチャードが隣に座って話しかけてきてくれたり。

――リチャード・ブランソンさんは、どういう方ですか?

 すごい、イタズラ好きですよ。たとえば、写真撮影する瞬間に私の体をバタンと倒して、タイミングがいいと私の鼻だけ写っていたり(笑)。あとは散歩も好きです。と言っても、普通の道ではなく、ネッカーアイランドの断崖絶壁とか、道がないところを進んでいくのが好きで、みんなそれについて行ったり。本当に普段から冒険している人ですね。

リチャード・ブランソン氏(右)と共に

――18年間も待ち続けられたのは、トップがリチャードさんだったことも大きい?

 そうですね。リチャード・ブランソンが宇宙旅行をやるって言ったから、申し込んだところもあって、やっぱりリチャードに対する信頼は大きいですね。

 実は、2022年に起業するときにも、相談に乗ってもらいました。外資系のIT企業を辞めた後は、経営コンサルティングに移ったので、これまで多くの経営者にもお会いしてきましたが、リチャードほど的確にいろいろなことを教えてくれる人はいなくて、本当に本当に参考になっています。

「遠足の前日」が20年近く続いている

――いよいよ、宇宙旅行が迫ってきました。具体的な場所や時間は、もう分かっているのでしょうか?

 場所はアメリカで、フライト時間は初回が1時間10分だったので、同じくらいだと思います。

――飛んでいる間にやりたいことはありますか?

 まず宇宙にものを持っていきたいです。結構、いろいろな人から宇宙に持っていってほしいと頼まれているので、1ポケット500万円くらいで欲しい方がいたら譲ろうかと思っています(笑)

――ご自身で、これだけは持っていきたいものは?

 ないですね。私自身が行ければいいので。でも、たとえば宇宙ステーションで熟成したワインが1億円になるとか、宇宙に持っていくと価値がつくじゃないですか。なので、持って行ってほしい人がいたら持っていくよ、という感じです。

――宇宙旅行では、無重力だったり、地球を見下ろしたりといろいろな楽しみ方があると思いますが、何が一番楽しみですか?

 意外と行く前が一番楽しいんじゃないですか?遠足だって前日が最もワクワクするじゃないですか。宇宙に行っている間はきっと一瞬です。なので、“遠足の前日”が20年近く続いている今の状況が一番楽しいですね。

――今回の宇宙旅行が終わったあとについては考えていますか。

 まだそこまで考えが及んでいませんが、私自身が義足の障害者で、おそらく宇宙旅行に行く世界初の障害者になるかもしれないので、宇宙でメディカルデータを取得したりして、自社の事業にもつなげられたらという思いはあります。

宇宙旅行者は「お金を払っていない人」の方が多い

――最後に宇宙旅行に興味がある方に向けてメッセージをお願いします。

 「宇宙旅行は富裕層だけのもの」って、みなさん思われていますが、過去の歴史を見ると、自分でお金を払っていない人のほうが圧倒的に多いという事実があります。たとえば、前澤友作さんが宇宙に行ったときも、他の3人分のお金は前澤さんが払っていますし。「お金を持っていないから諦めている」という人が、すごく多い。これは日本人の特徴なんですよ。

 いまがちょうど時代の転換点で、本当に宇宙に行ける時代が近づいてきているので、宇宙旅行に行きたいという気持ちがある方は、お金がないからこそまずは準備をして、宇宙旅行に行くためのステップを踏んでいくべきだと思います。

――準備とは、たとえば何をすればいいですか?

 そもそも、日常生活のなかで宇宙のことをどれだけ考えていますかと。普段から考えるだけでも、世界は全然変わってくるので、まずは日常で宇宙のことを考えることが大切です。

――日頃からアンテナを張っておけば、情報をキャッチできるようになって、チャンスがあれば応募したりできると。

 それに日常って、目先のことにとらわれがちだけど、普段から宇宙の視点を持っていると、視野が広がるので、それまで大変だと思っていたことも、実は大変じゃなくなってしまうんですよ。

――まさにこの18年間、稲波さんご自身もそうやって変わってきたと。そして、2022年には宇宙ベンチャーを立ち上げました。

 宇宙旅行に申し込んだおかげで、出会える人も、見える世界も大きく変わって、人生の面白さも仕事も、全然違うものになりました。「もうすぐだ」と思い続けて18年、「宇宙行くまでに、何をしようかな」と常に思っているから、人生に密度が生まれるんですよね。また、宇宙の視点を持って日常生活を過ごし、仕事をしていると、高い視座で物事を考え、視野を広げて世の中を把握して、視点を定めて行動できるようになりました。

 ビジネス環境がどんどん変わって、常に新しい価値を創造し続けるため、人生をより豊かなものにするためにも、まずは宇宙のことを日頃からもっと考えて、地球を常に宇宙から眺める視点を持ったほうがいいですし、できれば宇宙旅行にも早く申し込んだほうがいいのかなと思っています。

Related Articles