特集

宇宙キャスターの榎本麗美氏が「宇宙を仕事にする夢」を叶えるまで–宇宙教育で子どもたちに伝えたいこと

2023.08.17 09:00

藤井 涼(編集部)藤川理絵

facebook X(旧Twitter) line

 民間の宇宙旅行者も増え、少しずつ私たちの距離が近づいている「宇宙」。とはいえ、まだまだ遠い世界の出来事と捉えている人も多いだろう。では、いま宇宙に携わっている人々は、どのようなきっかけで宇宙と接点を持ち、それを生業とするようになったのか。この連載では、さまざまな分野で活躍する「宇宙人(ビト)」の原点を聞くことで、読者の皆さんの宇宙への見方が変わるヒントをお届けする。

 今回お話を聞いたのは、「宇宙のことを分かりやすく伝える仕事をしてきた」と語る“宇宙キャスター”の榎本麗美氏。現在、日本テレビ「日テレNEWS24」のキャスターや、JAXA研究開発プログラム「J-SPARCナビゲーター」を務めるほか、テレビ東京「おはスタ」では“宇宙のおねえさん”としても活躍している。

 しかし、子ども時代には「宇宙好きの友だちができず、ひとりで宇宙を楽しんでいた」という榎本氏。キャスターになってからも、周りからは「宇宙好きの変わり者として見られていた」という。そんな榎本氏の、宇宙への熱い想いや、過去に歩んできたキャリア、いま宇宙教育に力を注ぐ理由を聞いた。

子どもの頃から「宇宙はひとりで楽しむものだった」

 榎本氏がはじめて宇宙に興味を持ったきっかけは、子どもの頃、夏休みになると遊びに行く新潟の祖母の家だった。大自然のなか、さまざまな植物に触れ、たくさんの虫を観察して、ときには夢中で昆虫採集しながら、ふと思ったという。

 「いろんな生き物がいて、私がこの子(動植物)でもよかったのに、なんで人間として生まれたんだろう。どうして地球にいるんだろう。私がここにいる意味とは…? そう思い始めたのがきっかけだった」(榎本氏)

子どものころによく行った祖母の家でたくさんの動植物に触れたという

 「宇宙ってどういうところ?ビッグバンって何?」と、どんどん興味が湧いていき、知れば知るほど謎が深まっていく。それがまた面白くて、図鑑や本を読みあさったというが、宇宙の話をできる友だちはできなかったという。

 「子ども時代からずっと、宇宙はひとりで楽しむものだった。でも、すごくつらい時にも、壮大な宇宙のことを考えると、自分の悩みなんてちっぽけだなと思えたりして、途絶えることなくずっと宇宙に思いを馳せ続けていた」(榎本氏)

友人の誘いで「アナウンサー」になるも宇宙とは程遠く

 宇宙好きからスタートした榎本氏の興味は、生物、物理、数学、化学、科学全般に広がり、大学では理系に進んだ。ただ、就職活動では自身の興味関心と仕事をほとんど切り離して考えていたという。「いまでも、宇宙は仕事にできないと考えている学生は多いけれど、私も宇宙の仕事といえばJAXAしか思いつかなくて。宇宙好きなことを、職業にする術を知らなかった」(榎本氏)

理系に進んだ大学時代の榎本氏

 しかし、就職活動でのある気づきが、榎本氏の人生を変えることになる。プロフィール写真を撮りに訪れた写真館でたまたま出会った友人から誘われ、テレビ局のアナウンサーの試験を受けたのだ。面接時にカメラが回るなか、自らの思いを伝えるうち、本当にやりたいことが自然と言葉になっていったという。

 「だんだんと、人と話して伝えることが面白く感じるようになった。さらに、自分の好きな宇宙やサイエンスの世界を、楽しく伝えられたらいいのではと思うようになり始めた」(榎本氏)

 その後、紆余曲折を経て、新卒でテレビ局のアナウンサーとして採用されたのだが、「毎日必死だった」と振り返る。入社した地方局では、情報番組のMCやお天気コーナーなどを担当したが、アナウンス技術を習得することが最優先。宇宙や科学に触れる時間がなくなっていった。

 そこで「本当にやりたいことを目指そう」と2年半でテレビ局を退社。フリーアナウンサーとして活動を始めたものの、しばらくは苦しい時期が続いた。「宇宙人」とあだ名が付くなど、宇宙好きだというだけで“変わり者”に扱われることも、少なからずあったという。

 「宇宙が好きだと口に出しても、それが仕事につながったり、仲間ができたりすることはほとんどなかった。(のちに榎本氏が宇宙と関わる上でのキーパーソンとなる)JAXAの菊池優太さんをご紹介いただいたこともあったけれど、当時の私にはスキルも実績もなかったので、何もできないまま数年が過ぎてしまった」(榎本氏)

念願の「宇宙を仕事」に–ヒット特番を制作

 まさに「石の上にも三年(以上)」を体現する、榎本氏のキャリア。それでも、宇宙が好きだと言い続けて、ついにチャンスを引き寄せた。それも立て続けに。「時代が追いついた」というのが正解なのかもしれない。

 1つめは、2018年に始まった日テレNEWS24「the SOCIAL」。番組プロデューサーに、宇宙の企画書を書いて提出し、毎月最終木曜日を宇宙ビジネスへの挑戦者たちを紹介していく「宇宙の日」として、番組の企画から携わることができたのだ。それまで、防災士として企画書を作成したことはあったが、宇宙は初めて。企画書を作成するにあたり、前述のJAXAの菊池氏に、数年ぶりに連絡して相談したという。

 「ちょうど、JAXAが宇宙イノベーションパートナーシップ(通称、J-SPARC)を立ち上げたばかりのタイミングだった。菊池さんから『これからJAXAと民間企業が共創して一緒に宇宙ビジネスを生み出していく上で、ぜひ多様なプレーヤーを取り上げてほしい』と宇宙業界の方々を紹介いただき、まだまだ存在を知る人が少なかったときに、宇宙ビジネスの魅力を伝えることができた」(榎本氏)

宇宙業界のネットワークが少しずつ拡がり、宇宙に関わる仕事が増えていったという。ちなみに写真右の男性がJAXAの菊池氏

 「the SOCIAL」の「宇宙の日」がきっかけで、榎本氏自身の宇宙に対する想いも変化していく。JAXA研究開発プログラム「J-SPARC」のナビゲーターとしての活動が開始したのも、ちょうどこの頃だ。

 「宇宙の最先端の情報は、本や図鑑ではなく、人から話を聞く“生の声”じゃないと知ることができないのだと、すごく感じた。また、宇宙に情熱を燃やして、挑戦を続けている人たちが、こんなにたくさんいることにも感銘を受けて『私が伝えなくてどうする』と使命感が芽生えた」(榎本氏)

 2020年に野口聡一宇宙飛行士がSpaceXの新型宇宙船で飛び立ったときには、特番「Crew Dragon宇宙へ」を企画した。もともと榎本氏個人のYouTubeで実況解説しようと準備していたところ、「日テレNEWS24」の特番として任されることになったという。

 「Crew Dragonが宇宙船運用初号機だったため、どんな宇宙船やロケットなのか誰も分からなかったときに、NASAやSpace Xのウェブサイトや資料などを翻訳してまとめたものをスタッフさんに配布したり、勉強会を開催させていただいたり、自分で台本も作って、使う映像も選定して、成功を収めることができた。それが日テレAWARDS 2022の受賞にもつながった」(榎本氏)

現在は「宇宙キャスター」として活躍する

 続いて、2021年にNASAが無人探査車「パーシビアランス」からの映像を初公開したときの特番は、再生回数が1週間で25万回を突破するヒット回となった。ずっと手探りで試行錯誤してきた宇宙番組作りも、「これで自信がついた」と振り返る。

 国主導から民間や地方へと宇宙ビジネスが広がり、榎本氏のキャリアも大きく開いた。そこには常に“自分から動く”という姿勢があった。「いま思えば、勝手にやり始めたことが、よかったのだと思う。依頼も何もないのに、私が日本の世の中に伝えねばみたいな、情熱だけで動いていた」(榎本氏)

コロナ禍の挑戦がきっかけで「宇宙教育」に目覚める

 もう1つのターニングポイントは、コロナ禍で山崎直子宇宙飛行士らと有志で開設した、YouTubeチャンネル「おうちで宇宙 〜Stay home, play space!〜」に参加したことだ。2020年4月、はじめての緊急事態宣言で学校の休校が相次ぐなか、スピーディにチャンネルを立ち上げて、毎週火曜日と金曜日にオンライン動画を配信し続けた。

コロナ禍にYouTubeチャンネル「おうちで宇宙」に参加。山崎直子宇宙飛行士らと配信し続けた

 「閉鎖的なところにいるのは宇宙も一緒だから、おうちの中で宇宙を楽しんじゃおう」とステイホームを捉え直し、“おうちで宇宙船地球号”という言葉も生まれたという。「このとき改めて、有志の皆さんの情熱を感じた。宇宙にチャレンジする人たちのこの情熱を、私が伝えていくのだと気持ちを新たにし、子ども達への宇宙教育の大切さも実感した。宇宙飛行士の山崎直子さんとの出会いも、私にとってはとても大きかった」(榎本氏)

 山崎宇宙飛行士という憧れの存在との共演や宇宙仲間ができたこと、子ども向け番組を経験する中で、「自分は孤独に宇宙をやってきた」という心の陰りを、しっかりと見つめ直せた。宇宙のことが好きなのに仲間ができなくて、興味を失ってしまう子どもも少なくない。みんなで宇宙を楽しめるような環境づくりが必要なのではないか。

 そう考えた榎本氏は、2021年7月に宇宙を身近に感じられるコミュニティ「そらビ」を立ち上げた。個性的なコミュニティ名には「毎日が宙(そら)の日」「そらで遊ぶ(そらあそび)」といった想いが込められているという。さらに翌2022年4月には一般社団法人そらビを設立。山崎直子氏もアドバイザーに就任している。

「そらビ」の設立イベントにて

 活動の軸は、「宇宙×あなたのやってみたいをお手伝い」。一歩踏みだせるような、きっかけ作りをしているという。時間がかかっても、一歩一歩踏み出し続けてきた、榎本氏の想いがつまっている。

 2022年から2023年に実施された、JAXA宇宙飛行士候補者選抜試験では、本気で目指す方を応援し、伴走したいという想いのもと「目指せ未来の宇宙飛行士講座」を開講。2008年の宇宙飛行士選抜試験で事務局長を務めた柳川孝二氏や日本人宇宙飛行士訓練のパイオニア上垣内茂樹氏、有識者の協力のもと、対策講座を実施。新しく「発信力・表現力」が必要だという項目が増えたことで、アナウンス講座も行ったという。最終結果は、受験者数4127名のうち、セミファイナリスト50名のなかで男女1名ずつ、合計2名の受講生が残ったという。

 「試験にチャレンジすることで、生徒の皆さんがどんどん成長していく姿に感動した。この講座をきっかけに、宇宙業界に転職した人も、人生が変わったと言ってくれる人もいる。私自身も人生をかけて全身全霊を注いで挑み、みんなのお母さんみたいですねと言われるくらいだった(笑)。次の試験を目指す人たちにも伴走するため、いま準備をすすめている」(榎本氏)

「目指せ未来の宇宙飛行士講座」の様子

 さらに子ども向けにも、2022年9月4日に日本宇宙少年団「東京日本橋分団」を立ち上げた。JAXA職員から「東京都心において宇宙好きの子どもたちが宇宙を学べる場所がない」と聞いたことがきっかけだ。自らの子ども時代を思い出して、「私がやらなきゃ」と奮い立ったという。慶應義塾大学院教授、元慶應義塾横浜初等部 部長の神武直彦氏にも、立ち上げ当初から意見を求め、共同創設者兼アドバイザーに就任してもらった。

 「いまは、最初の募集で集まってくれた約30人の子どもたちを対象に、毎月イベントを開いている。今後は宇宙ネイティブ世代の時代が間違いなく訪れるので、そこで遅れをとらずにしっかり活躍できる次世代を育てたい。宇宙で活躍する人材を育成することで宇宙開発に貢献できると思う。グローバルからユニバーサルへというビジョンを軸に活動している」(榎本氏)

2022年9月に立ち上げた日本宇宙少年団「東京日本橋分団」

「持続可能な宇宙教育」を実現するために

 宇宙キャスターやテレビ番組の製作を通じて、“宇宙を仕事”にする夢を叶えた榎本氏に、次なる夢を聞いた。

 「宇宙キャスターとしての夢は、火星からリポートすること。叶うか叶わないかはさておき、絶対的な夢として持っている。教育活動では、分団などの自分が関わる子どもたちが将来、宇宙飛行士になったり、ロケットを作って打ち上げたり、宇宙のさまざまな領域で活躍できるように羽ばたかせてあげたい。そして、その子たちの記者会見に参加して泣くのがいまの夢(笑)」(榎本氏)

 目指すところはまさに「持続可能な宇宙教育」だ。そのためには、ボランティアで有志が支えていている現状を、改革していく必要がある。宇宙ビジネスを含め、宇宙の最新情報を子どもたちに伝えるための教育コンテンツの企画や、それを子どもにも分かるよう噛み砕いて伝える工夫など、宇宙教育のイノベーションも必要だという。

 泉のように“やりたいこと”は、どんどん溢れてくる。その情熱はどこからくるのだろう。「宇宙の魅力は、なんでもチャレンジできることだ」と言い切る姿に、ヒントがあるようだ。

 「私の場合は『宇宙×伝える』だったけれど、『宇宙×○○』という捉え方をすれば、宇宙は誰でも何でも挑戦できる場、誰でも踏み込める場所になる。それを皆さん知らないから、ハードルが高いと感じてしまうだけで、宇宙はチャンスでしかないということを、もっと伝えていきたい。そうして、宇宙を目指す人や情熱を持った人が増えれば増えるほど、宇宙ビジネスや宇宙開発が盛り上がり、これまで以上に新技術の研究なども進むことで人類の可能性が広がる。それが地上にも還元されて、よりよい地球になっていけばいいと思う」(榎本氏)

Related Articles