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若田光一さん、「JAXAを退職する理由」を語る–今後は「民間で宇宙活動を継続」と表明

2024.03.29 14:31

小口貴宏(編集部)

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 3月31日付けで宇宙航空研究開発機構(JAXA)を退職する宇宙飛行士の若田光一氏は3月29日、退職にあたって記者会見を開催した。退職後は「民間宇宙セクターでの地球低軌道(LEO)での有人宇宙活動に取り組む」と語った。

 若田氏はJAXAを退職する理由について「今後の宇宙活動は民間が鍵になる」として、次のように語った。

 「日本人が月面に立つ日がすぐそこまできている。各国政府が進める有人月・火星探査の実現には、民間による地球低軌道での有人活動が鍵になる。今後は民間セクターによる活動を盛り上げて、ポストISSの地球低軌道での民間活動に尽力していきたい。地球低軌道から火星までを視野に入れて、有人宇宙活動の発展を考えて、その先駆者として仕事をしたい」(若田氏)

 なぜ民間なのか。その問いに対して若田氏は「ISSの運用は2030年まで。永遠には存在しない。以降地球低軌道での活動は民間が担うことになっている。一方で人類が月や火星に向かうには、地球低軌道での訓練が必要となる」と説明。こうした地球低軌道での民間の取り組みを支えたいとした。

 自身が民間で宇宙飛行士となる可能性については「意欲はある」と述べた。また、どの民間セクターで取り組むかについては「4月以降に公表する」とした。

「英語がわからなくて苦労」

 若田氏は会見の冒頭、JAXA宇宙飛行士としての32年間を振り返った。特に言及していたのは自身を支えてくれた人への感謝だった。

 「選抜された日、生まれて初めての記者会見を経験したが、その日が昨日のことのように思える。訓練開始時には右も左もわからないヒューストンに送られ、英語がわからなくて苦労した」と明かし、これ以外にもさまざまなトラブルを周囲の助けで乗り切ったと明かした。

 合計5回の宇宙飛行のうち、一番トラブルに見舞われたのは直近の2022年〜2023年の滞在だったという。宇宙ゴミの衝突によるソユーズ宇宙船の冷却機能の喪失、船外活動中に構造上の理由で機器を取り付けられないなどの問題に遭遇したが「トラブルを経ることで各国との連携が強くなることを実感した」と述べた。

 地上では管理職から経営の業務までを担ったが「管理職の業務が一番ストレスが溜まった」と打ち明けた。「世界各国のISSの運行管理部門との調整や運行計画の作成などを通じて、世界各国との連携の難しさを感じた」と語った。

 なお、若田氏は60歳での転職となる。同じような年齢で新たなキャリアに挑む人へのメッセージを求められた若田氏は「希望と不安がある。転職に成功してからメッセージを出したほうが良い」と胸の内を明かしつつ、経験を人類社会の発展に役立てられるのではないかと肯定的に述べた。

 宇宙の魅力については「宇宙は皆のもので、皆に限りない夢や希望を与えてくれる空間だ。物理学的にも我々が把握している宇宙の物質は5%に過ぎず、残りはダークエネルギーとダークマターだと言われる。また宇宙ステーションの活動でも新しい発見の毎日で、わからないものを既知にしていく喜び、新しい環境への取り組みによって新しい知見やチームワークに繋がっていく。宇宙の最大の魅力はあまりにもわからないことが多すぎる存在なので、多くの人たちに限りない夢を与えてくれるのが、私にとっての魅力」とした。

若田光一宇宙飛行士とは

 若田光一氏は1963年に埼玉県大宮市(現さいたま市)生まれ。1987年に九州大学工学部航空工学科を卒業。1989年に同大学院工学研究科応用力学専攻修士課程を修了した。その後は日本航空に入社。成田整備工場点検整備部、技術部システム技術室にて機体構造技術を担当した。

 若田さんが宇宙飛行士となったのは1992年だ。当時の宇宙開発事業団(NASDA)が国際宇宙ステーション(ISS)の建設に備えて実施した募集で選ばれた。

 若田氏が初めて宇宙に赴いたのは1996年1月だ。日本人初のミッションスペシャリストとしてスペースシャトルに搭乗した。2000年10月の2度目の宇宙では、日本人として初めてISSの建設に参加、ロボットアームを操作してドッキングポートを取り付ける作業をした。

 2009年3月からの3度目の宇宙では、日本実験棟「きぼう」の船外プラットフォーム建設に参加、さらに同年7月まで日本人初のISS長期滞在を実施した。2013年にはロシアのソユーズロケットで4度目の宇宙長期滞在を実施し、日本人初となるISS船長を任される栄誉を獲得した。直近では2022年10月〜2023年3月にISSで155日間滞在。滞在中は自身初となる船外活動を2回実施し、ISSの運用延長に不可欠な作業を実施した。

 若田氏の通算宇宙滞在時間は504日18時間35分、通算ISS滞在時間は482日15時間57分で、いずれも日本人宇宙飛行士として最長だ。

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