インタビュー
「バチェロレッテ・ジャパン」の経験を生かして宇宙を広く届ける–武井亜樹氏が語った半生や宇宙業界での女性活躍
2024.10.07 09:00
1人の独身女性が多数の男性の中から未来の結婚相手を見つけ出す人気恋愛リアリティ番組「バチェロレッテ・ジャパン」。最新シリーズで3代目バチェロレッテに抜擢されたのは、東京大学で航空宇宙工学を専攻したのちに経済産業省に入省したという輝かしい経歴を持つ武井亜樹氏。
番組の配信終了後、テレビやメディアに引っ張りだこの生活を送りながら、大好きな宇宙関連の仕事にフリーランスとして携わっている同氏に、今までのキャリアや今後の展望を聞いた。
「星空に元気をもらった」–東大の航空宇宙工学科へ
――まず武井さんが宇宙に興味を持ったきっかけを教えてください。
一番のきっかけは小学生のときに行った西表島のキャンプです。そのキャンプは中学生や小学校高学年がメインだったのですが、私はまだ小学校低学年だったときに最年少で参加しました。そこで小さいことが理由でいじめられてしまって。自分の物をテントの外に出されたりしました。
いじめられたことが悲しくて、一人で海の方に行って泣いていたら、空が満天の星空だったんです。すごく綺麗でした。星を見ていたら元気が出たし、いじめられたとしても星が私のことを守ってくれている気がして、私はこのままでいいんだと思えました。それ以来ずっと星が好きで、星を見ると自信が湧いてきたり、日常で嫌なことがあっても星を見ることで全部クリアになってパワーが湧いてくるようになりました。
――星がきっかけで宇宙に興味を持つ方は多いものの、工学系に進む方はなかなか珍しいと思います。
そこは私の誤算でした(笑)。星が好きになって、宇宙が好きになったんですけど、小さい時は天文学と宇宙工学の違いって分からないじゃないですか。そこで「宇宙が好きだから、宇宙飛行士になりたい!」と思って、宇宙飛行士になるにはどうしたらいいか調べていました。すると、東大の航空宇宙工学科を出ている方が多かったのです。もちろん他にもお医者さんとか自衛隊の方とかもいらっしゃったんですけど、私にとって一番の近道は東大の航空宇宙科なんだと思い、受験することにしました。
高校に入る頃には東大を志望していたのですが、私はどうしてもアメリカに留学したかったんです。当時の先生には、東大の理系志望で留学する人はあまり聞いたことがないし、留学から帰ってきてからでは受験勉強が間に合わないと反対されました。でも宇宙業界で働こうと思ったら絶対英語が必要じゃないですか。なので、私は「行きます。受験勉強は帰ってきてからします」と言って、アメリカに留学しました。
1年でできるたけ英語を身につけなければと思い、1年後には問題なく会話できる状態になって帰ってきました。帰国したのは高校2年生の途中だったので、東大を受験することを考えるとギリギリでした。また、私の代でちょうど推薦入試が導入されたのです。推薦入試について知ったのは書類締め切りの1週間前でした。要件も厳しかったのですが、なんとか自分の専門分野の小論文や専門分野以外のエッセイを書いて提出しました。
――東大の一般入試の受験勉強と同時並行で論文などを書かれていたのですか。
そうです。普通の受験勉強と同時並行で、論文を書くために書籍を読み漁るのは大変でしたね。
推薦入試は何段階かに分かれていたのですが、本インタビューが一般入試の1カ月前、合格発表が一般入試の1〜2週間前でした。私は自分が天才肌じゃないことは分かっていたので、推薦入試は本当にアディショナルで、あくまでも一般入試で頑張ろうという気持ちでした。ただ、理系で海外留学する人は珍しかったので、それは自分の推しポイントだと思っていました。
本インタビューは1時間くらいの面接で、教授5〜6人と私1人という割と緊張感のある面接でした。当たり前ですがみなさん専門家なので、ちょっとロケットエンジンの話をしたら、「じゃあ知ってるエンジンを全部言ってみて」と言われ、必死に答える、というような形でした。1時間でめちゃくちゃ頭を使ったので、帰りは実家がある群馬に帰るはずが、気づいたら栃木にいたくらい疲労困憊していましたね(笑)
――それでも合格されたんですね!
はい、自分がうまく答えられていたかどうかなどは全然分からなかったのですが、一般入試の前に工学部から合格をいただきました。
――大学ではどんな研究をされていたのですか。
私はエンジニアリングはあまり得意じゃなかったのですが、一度始めたことはとにかくやり切ろうと思い、内燃機関の推進コースでエンジンの中に貼る遮熱のコーティングの研究をしていました。女子は私だけで男子30人くらいのコースでした。当時はJAXAと川崎重工の方と一緒に実験をしていたのですが、ちょうどコロナの時期だったので、対面の実験が叶わなかったのは残念でしたね。
卒業後に進んだ経産省を1年で辞めた理由とは?
――卒業後は経産省に入りましたね。すぐに宇宙業界で働くこともできたと思うのですが、そうしなかったのはなぜですか。
宇宙業界にはもちろん興味があり、学生時代から宇宙産業で働いている方々を見ていました。みなさん優秀で、パッションもあって、ロマンがある方ばかりだと感じていました。でも産業自体がまだ発展途上だったり、マネタイズできるようなビジネスが少ないので、すごく能力のある方でも、良い環境で仕事をしたり、正当な報酬を得られていないという事実も目の当たりにしました。
もともと私はエンジニアリングが苦手だと思っていたこともあり、それであれば周辺の制度を整えたり、外の有り余る資金をうまく回すような立場になる、文系寄りの仕事をした方が良いのではと思ったんです。それで行政に進むのがいいかなと思い、経産省を受けました。
経産省では、宇宙もいいと思うけれど、私が人材や人の働き方にフォーカスしているのであればということで、人材政策を考える課に配属されました。働き方やウェルビーイング、女性活躍、兼業・副業・フリーランスの推進など、人材をより輝かせるような政策を考える部署でした。それは宇宙産業を見た時に、私が感じた人材に関する課題に似ていたので、とてもいい部署に配属していただいたなと感じます。
――経産省を1年で辞められたのはどのような理由からですか。
人材課は楽しくてやり甲斐もあったのですが、私の性格上もっと自由に世界を見たい、もっと自由に動きたいと思うようになりました。これは行政の特徴なのですが、経産省で総合職をすると、3年に1回は異動をしていろんな仕事を経験するんですね。国の仕事なので属人化を防ぐためなどいろいろな理由はあると思うのですが、そうするとジェネラリストの最終形態みたいな、完璧な官僚になる、というようなキャリアになると思ったんです。
私はあまりそういう性格ではないなと思ったのと、やっぱり発信をすることがとても好きだったので、もう少し自分の経験を生かしてリーチアウトするような仕事をしたいなと思うようになりました。最終的には国を動かすような大きいプロジェクトに携わりたいと思うのですが、今は外に出ていろいろな経験を積みたいと思います。いつか専門家や有識者として行政の仕事にも関われたら嬉しいです。
――どうしても宇宙の仕事がしたい!と思って飛び出したというよりは、今後の働き方を考えてのことだったんですね。
宇宙は好きだし、今も宇宙の仕事はしたいんですけど、宇宙の仕事がしたいから辞めましたというよりは、若いうちにいろんなことを経験したいという思いでした。あとは経産省にいると特に若いうちは忙しいので、次のキャリアを考えるほどの時間が取れなくて、ひとまず辞めて考えようと思ったのも大きいです。
経産省を辞めたのは2022年でした。そのあとはやっぱり私は宇宙との親和性が強いのと思ったのと、たくさんのプロジェクトを経験したいという思いから、宇宙産業で複数の会社でフリーランスとして働きました。宇宙産業はまだ正社員を雇う体力はない会社が多いので、業務委託ならと言っていただき、ちょうど私もどこかに所属するよりは自由に動きたいと思っていたので、そのような働き方を選びました。
――その頃はどのようなお仕事をされていたんですか。
私が得意なのが、まだ宇宙について知らない人に宇宙について知ってもらったり、宇宙との関わりを持ってもらうことなので、たとえば、宇宙×アートとか、宇宙×教育などの分野の取り組みをしている会社やプロジェクトに入りました。まだ宇宙産業にいない方に宇宙を見てもらうことに興味があったので、子どもたちに宇宙教育をしたり、一見宇宙とは関係ないアートを宇宙に持っていくプロジェクトにも携わりました。
あとは宇宙について発信するために記事を書いていました。どう宇宙に行くかという技術的な仕事よりも、宇宙に行った先で何をするかとか、宇宙に関係ない人がこれから何をするかとか、そういう文脈の仕事をしていましたね。
「バチェロレッテ・ジャパン」の経験を生かして宇宙を広く届ける
――今は「バチェロレッテ・ジャパン」を通じて発信力も増しているので、武井さん自身がメディアとなって宇宙についてさまざまな角度から発信できそうですね。
はい、私が宇宙に関わるとしたらそういう分野なのかなと思います。特に専門家の方々は、宇宙のことを何も知らない人たちの気持ちは分かりにくいと思うので、その間に入ってコミュニケーションを取ったり、魅力を分かりやすく発信したりするポジションなら、自分の価値を発揮できると思っています。
――私も先日、(自身が運営する)コスモ女子の人工衛星の打ち上げのためにアメリカに行き、宇宙に関する情報の発信の仕方に大きなギャップを感じました。演出がド派手というか。これは子どもたちの憧れの職業になるよなと。
エンタメ演出が上手いですよね。私も先日映画の試写会にご招待いただいたのですが、その映画がアポロ11号のPRをした方のストーリーだったんです。もともと宇宙開発をしている技術者の人たちの中にPRのプロが入っていって、宇宙飛行士をめちゃくちゃかっこ良くブランディングしたり、いろんなスポンサーを巻き込んでビジネスとして成功させた話でした。その中で、たとえば時計のブランドやシリアルの会社がスポンサーになることで、時計に興味がある人やシリアルを毎日食べている家族が宇宙に興味を持っていくんです。
「バチェロレッテ・ジャパン」に出演したことがきっかけで、今私のフォロワーさんはファッションや美容に興味を持っている方々が多いので、私もそのような、今は宇宙に興味がない層と宇宙業界とをつなぐ架け橋になりたいですね。
――まさに今の宇宙業界で求められていることですね。今後武井さんが宇宙関連でやりたいことはなんですか?
私は宇宙に行きたくて。それ以外のことは臨機応変にやっていきたいなと思っています。お話をいただく前はまさか自分が「バチェロレッテ・ジャパン」に出るとは思っていなかったし、その前の経産省もたまたまご縁があって働いた形なので。自分が得意なことで何か宇宙の仕事ができたらいいなと思います。
――宇宙はまだまだ女性が少ない産業だと感じるのですが、女性が宇宙業界で活躍するにはどうしたら良いと思いますか?
私自身は大学も男性ばかりだったということもあり、自分が女性だということを仕事上あまり気にしたことがないんです。
ただ、経産省にいたときに女性活躍に関する仕事もしていました。そのとき感じたのは、今の制度は、働いている人の割合が男性が多いことから、図らずも男性が働きやすい状況になっているということです。すでに大きくなっている産業で女性の割合を増やすことは大変だと思いますが、幸い宇宙産業はまだまだ小さいです。
そこで、今女性をマジョリティにしてしまえば宇宙業界が女性の働きやすい産業になるんじゃないかと思っています。そうすれば、たとえば子どものお迎えのために17時くらいに一度仕事を終えて、夜また残った仕事をする、というような働き方が当たり前になると思うんです。
――それが実現したら男女問わず働きやすくなりますね。最後に、武井さんは宇宙に行ったら何をしたいですか?
ひたすら月をドライブ!(笑)。一番は綺麗な景色を見たいです。行ったことがないのでどういう景色が綺麗かは分かりませんが、とにかく宇宙に行って自分の目で見てみたいですね。