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書評『Reentry』:傑作ロケット「Falcon 9」で圧倒的勝者になったSpaceXの15年間–ベテラン宇宙記者が明かす舞台裏

2024.10.07 11:09

秋山文野

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 本書『Reentry』(BenBella Books出版)は、米国のテックメディアArs Technicaのベテラン宇宙記者であるエリック・バーガーが、SpaceXの主力ロケット「Falcon 9」開発を追ったノンフィクションである。2024年9月24日に英語版が発売された(日本語版は未定)。

 前著の『Liftoff』では、SpaceXの創業と当時の中心メンバーの参画、そして小型ロケット「Falcon 1」の3回の打ち上げ失敗、会社存続を賭けた崖っぷちの状況の中での4号機の成功までを描いた。

 Falcon 1が成功した2008年当時、SpaceXはそのほかにビジネスの手段を持っていなかったわけだが、それでもFalcon 1開発を終了してFalcon 9への移行を決断する。ようやく成功した小型ロケットを捨てる決断をしたのはなぜなのか、そしてドラゴン輸送船、Falcon 9の再利用の達成、有人宇宙船クルードラゴンの開発を立て続けに成功させ、NASAとの契約のもとに宇宙開発企業として飛躍的に発展していった時代が本書では描かれる。

なぜ「SpaceX」は生き残ったのか?

 SpaceXの活動を追う人々が最も知りたいことは、「なぜSpaceXだったのか」「それはいつまで続くのか」の2点に集約されるだろう。SpaceXと競い合った宇宙企業は多数あり、技術や革新的なビジネスモデルを持ちながらもあるものは消えていき、あるものは目指していた実績に到達しなかった。

 なぜ、SpaceXは生き残り、前人未到の再使用ロケットの実現、無人・有人宇宙船の開発を実現し、月着陸船の開発を手にしたのか。また、そのすべてを駆り立てるイーロン・マスクCEOの勢いはどこまで続くのか。そうした疑問に答える要素は本書の中に多数散りばめられている。

 そのひとつは、Falcon 9開発の原動力でありSpaceXの最初の大きな成果となった国際宇宙ステーション(ISS)の商業補給船「Dragon」試験機にまつわるエピソードだ。2006年に初めてNASAの商業宇宙輸送プログラムに選定され、2億7800万ドルの資金を得て打ち上げロケット「Falcon 9」開発とDragonの開発が始まった。

 Falcon 1の商業打ち上げを追求する余裕は当時のSpaceXにはなく、同社はFalcon 9に注力することを決意する。2008年にNASAはISS補給ミッションの契約を16億ドルでSpaceXと結んだものの、この大きな金額は補給ミッションが実施されなければ入ってこない。それまでは開発マイルストーンの達成で支払われる最初の資金でしのいでいくしかない。当初は2008年にFalcon 9の打ち上げを始めるはずだったが、開発は遅れて2010年に伸びる。これに搭載された2010年のドラゴン試験機では、ISSまでは到達せず、海上に着水する試験を行うことになっていた。

 SpaceXが結んだNASAとの契約は、「固定価格契約(Fixed price contract)」という。これは一定の開発マイルストーンを達成すれば契約額が支払われる方式で、基本的には契約総額が決まっている。アポロ計画に代表される、開発要素に応じて支払額が積み上げられていく「コストプラス契約」とは異なる。NASAのような国家機関は調達コストを抑えられる固定価格契約制度をますます採用するようになり、SpaceXは当初から契約額には上限があるという環境のもとで開発を進めていた。生き延びる秘訣はとにかく開発を加速し、内製できる要素は内製化してコストを切り詰めることだ。

 たとえば、ドラゴン補給船の内部には、物資を収納するラックがあり、その扉を金具(ラッチ)で固定する。航空宇宙グレードのラッチはたった1個で1500ドル(2010年当時で約13万円)もするという。SpaceXのエンジニアはトイレの金具を参考に自分たちでラッチ製造し、これを30ドル(約2600円)まで切り詰めた。こうした絶え間ないコスト削減努力がドラゴン開発の影にあった。

 ところが、2010年の最初のドラゴン試験機打ち上げを目前に、Falcon 9ロケット上段に問題が見つかる。2段マーリンエンジンのノズルスカートにひび割れが見つかったというのだ。ディテールを愛好する向きのために記しておくと、これはNASAの指示で1段推進剤タンクへの着氷を防ぐために段間部からノズルを差し込み、窒素ガスを吹き付ける作業を繰り返したために起きたのだという。

 このままではFalcon 9は飛行できない。しかし、新たなノズルをフロリダまで取り寄せて交換していると、追加の日数は1カ月近くかかる。NASAならば、あるいは伝統的な宇宙産業ならばどう考えても1カ月の延期を選択しただろう。しかし、SpaceXはそうではなかった。

 その時間が惜しい、と本社から一番腕利きの金属加工技術者を呼び寄せ、ノズルスカートの裾をカッターで切り落としたのだ。ひび割れは裾側に集中しており、35cmほど切り落とせば対策できた。2段エンジンの出力は下がるが、飛行試験の性質からいってFalcon 9の最大の能力までは必要としないため出力低下は許容できる。フロリダとはいえ12月の寒風の中、クレーンに乗って手作業でロケットエンジンのノズルを切り落とす凄まじい重労働を経て、Falcon 9はわずか4日で飛行できる状態に復帰した。

 こうしたハードワークを技術者に強いて、それでもFalcon 9とドラゴン補給船は前進を続ける。無事に終わった試験機ミッションでは、イーロン・マスクの発案でモンティ・パイソンのスケッチ『チーズ・ショップ』にちなんで大きなチーズの塊を積むというジョークも忘れなかった。

再利用ロケット「Falcon 9」

 2012年にISSへ初めて到着したドラゴン補給船には、SpaceX内製のラッチを取り付けた電源付きのラックが備えられ、ISSで実施される実験用に低温管理を必要とする資材を運べるようになっている。往路では空だったこのラックに、SpaceXはテキサスの有名なアイスクリームを詰め込んだ。宇宙飛行士へのちょっとしたプレゼントである。冷凍庫が備えられていなかったISSで、これは大変なごちそうだった。

 電源を備えたラックは、当時NASAの悩みのタネになっていた。スペースシャトルの退役に伴ってこの設備は宇宙輸送の欠落になっており、日本のHTV(こうのとり)や欧州のATVも備えていない。SpaceXが早期にドラゴン補給船を開発できなければ、ISSで計画しているライフサイエンス実験など、低温での管理を必要とする実験サンプルの輸送が大幅に制限されることになり、ISSの意義がゆらぐ可能性もあった。開発スピードとコスト低減を一心不乱に追求したSpaceXの活動がなければ、NASAは大幅な実験計画の遅延か、商業宇宙輸送計画のコスト増を強いられていたかもしれない。

NASAがSpaceXを選んだ理由

 NASA側にも強く危機感を持ち、SpaceXと協力して民間宇宙開発を成功させようとしていた人々がいた。ジョンソン宇宙センターのフライト・ディレクター、ホリー・ライディングスもその一人だ。ドラゴン補給船2回目の試験飛行で、LiDARの不具合からISSとのランデブーに苦戦していたドラゴンのミッションをこのまま続けてドッキングを許可するか、飛行試験を中止して地球に帰還させるかという決断を迫られる。

 幼いころにスペースシャトル・チャレンジャー号の事故を映像で目の当たりにし、「こんな惨事は決してもう起こしてはいけない」という決意を秘めてNASAの管制官になったというライディングスからすれば、飛行中にソフトウェアを書き換えて不具合に対処しようというSpaceXチームの発案は、それまでのNASAの安全管理の常識を打ち破るような方法だ。

 一方で、NASAは、「NASAの宇宙船を開発させる」のではなく「民間企業から宇宙輸送サービスを買う」という方針の大転換をとげている。NASAが要求できるのは結果として安全であることであり、この手順に沿っていなければ安全とは認めないという方法論の押しつけではない。最終的にライディングスは、2006年からSpaceXチームとの間に築いてきた技術のために最善を尽くす姿勢への信頼の下に、ISSへのドッキングを許可した。そして、成功した。

 SpaceXとNASAがミッションに真摯に向き合い、協力しあってその信頼関係を深めていく一方で、反発や抵抗もまた激しかった。SpaceXが初めてフロリダでロケット射点「LC-40」の利用権を獲得し打ち上げ準備に乗り出した当時から、陰湿で激しい嫌がらせにさらされている。現在でこそ、ドラゴン、クルードラゴンの成功によって米国の宇宙開発を支える存在となっているSpaceXだが、クルードラゴンの開発を始めた当初、NASAの「コマーシャルクルー」計画にふさわしい企業はボーイングのみだと考えられており、ボーイング自身が他社と競合する可能性など考えてもいなかった事情が描かれる。

 SpaceX社内にさえ、選定に漏れる可能性が高いという悲観論もあったというが、結果としてSpaceXが9回目のクルー輸送を実現しているのに対し、ボーイングのスターライナーはまだ実際のクルー輸送ミッションを始める認証には至っていない。NASAもまさかここまで差が開くとは考えていなかったと思われるが、現在の状況につながる要素はコマーシャルクルー計画開始当初から関わる宇宙飛行士たちの実感としてすでにあった。スペースシャトルのラストフライト、STS-135の際に国際宇宙ステーションに掲げられた星条旗をめぐるある内実は、宇宙開発を追っていた者として感情的にも揺さぶられるものがある。

快進撃の裏にある「プレッシャー」

 圧倒的に勝者といえるSpaceXだが、それを支える人々は絶え間なく入れ替わっている現実も描かれる。イーロン・マスクからのさらなる新規開発、高度化へのプレッシャーは絶え間なく、シンプルにハードワークが過ぎてスタッフの体が持たないのだ。週に80時間、100時間の労働を強いられる生活で燃え尽き、会社を去った人物のリストは相当な厚みになると思われ、創業当時の中核メンバーで残っているのはグウィン・ショットウェル社長のみだ。

 宇宙開発の最先端をひた走り、世界初・世界一を次々と達成する高揚感があるからこそ、新たな技術者たちが激しいプレッシャーを受け入れてSpaceXという企業に適応していく。しかし、これがどこまで持続可能なのか、著者は最終章でグウィン・ショットウェル社長退任という視野に入ってきた節目があると率直に述べている。またイーロン・マスクという人物を読み解くため、航空宇宙業界の先例としてハワード・ヒューズの名を挙げているといえば、著者の懸念が実感できるだろう。

 2008年のマーリン1エンジン試験から始まる本書では、およそ15年間のSpaceXの営みを描きつつも、すべて描写し尽くされているといえない部分もある。これは、現在進行形で米国政府との契約に関わる部分があるためだという。とはいえ、SpaceXをSpaceXたらしめている要素はふんだんに盛り込まれている。400ページとボリュームは前著に増して大きいが、ケーキに散りばめられたフルーツを噛みしめるように、最後までページをめくる喜びが尽きない書である。

秋山文野

サイエンスライター/翻訳者

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

秋山文野

サイエンスライター/翻訳者

1990年代からパソコン雑誌の編集・ライターを経てサイエンスライターへ。ロケット/人工衛星プロジェクトから宇宙探査、宇宙政策、宇宙ビジネス、NewSpace事情、宇宙開発史まで。著書に電子書籍『「はやぶさ」7年60億kmのミッション完全解説』、訳書に『ロケットガールの誕生 コンピューターになった女性たち』ほか。2023年4月より文部科学省 宇宙開発利用部会臨時委員。

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