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行き詰まった人生に立ちふさがる「扉」を開くには–ロケットの父から学ぶ「鍵を持つ人」との出会いの大切さ
2024.07.23 09:00
日本の「ロケットの父」として知られる糸川英夫氏は、宇宙開発以外にも、脳波測定器やバイオリン製作など生涯にわたり多分野で活躍をしたイノベーターだった。この連載では、糸川氏が主宰した「組織工学研究会」において、10年以上にわたり同氏を間近で見てきた筆者が、イノベーションを生み出すための手法や組織づくりについて解説する。
糸川英夫さんには50冊以上の著作(糸川英夫著作一覧)があるが、1冊だけ女性向けに書かれた『女性人生読本』という本がある。男性が世に出るための成功術は、父から子へ先輩から後輩へ、友人から友人へと男性社会の中で次の世代の男たちにバトンタッチされていく。しかし、女性たちの間にはこのシステムが欠如していると糸川さんは指摘する。
そのためこの本には「糸川流、女性が世に出るためのシステム」が紹介されている。しかしこれは、男女を問わず、人が世に出るための貴重なノウハウになるので、今回はこのことから話をはじめてみよう。
才能を開花かせる「鍵」を持つ人との出会い
糸川さんは大学卒業後に就職した飛行機会社を10年で辞めた。周囲からは会社のバックがなければ何もできないとか、飛行機会社は収入が多いとか、さまざまな遺留工作があった。しかし、退路を断ち(辞表を受理される前に工場から東京に引っ越した)、東京大学第二工学部の助教授になった。1941年11月26日のことだ。東大に新設された第二工学部にこないかと糸川さんを誘ったのは尊敬する谷一郎先生(流体力学者、JAXA 國中均所長が最近授与したAIAAの名誉会員の日本人第1号)だった。
この本には次のように書かれている。
「行き詰まった人生の道に立ちふさがっている扉をあけるための鍵をもった人は1人います。その人はあなたの人生の行路を横切る無数の人たちの中の1人です。しかも、たった1人の人です。その人だけが、あなたの転機のチャンスを与えてくれます。まさに『出会い』といってもよいでしょう。その人を尊敬し、敬愛し、あこがれ、好きになることが、自然に彼、または彼女の手から、あなたに鍵を渡せるモメントをつくります。かくして扉の鍵があなたの手に渡されたと思ったら、後ろをふり返らぬことです。退路を断つ。これがあなたを、一個の独立した社会人として、自分の才能を開花させ、自分のあらゆる可能性を世に問う、という挑戦を成功させます」
(1)宇宙ベンチャーの歴史から考察する
『日本一わかりやすい宇宙ビジネス』に紹介されている宇宙ベンチャーの歴史から、「糸川流、世に出るためのシステム」をピックアップしてみる。
糸川さんの弟子の長友信人氏は宇宙科学研究所でハイムス(HIMES)と命名された完全再使用型弾道飛行機(宇宙飛行機)の実験を行っていた。そんな長友研究室に川崎重工から米本浩一氏が出向していた。飛行機屋だった米本氏は、長友氏に頭が硬いと随分怒られていたが、ハイムスの飛行制御に関する報告書によって、はじめて評価されたという。その後、九州工業大学・東京理科大学に移った米本氏は、スペースプレーン(宇宙飛行機)のSPACE WALKERを設立した。このように、長友氏のミームは引き継がれ、2030年に予定されている有人スペースプレーンの機体には「長友」と刻まれているという。
IHIエアロスペースの前社長の牧野隆氏も長友研究室に在籍していた。「マキノ坊主(長友氏がつけたあだ名)、宇宙システムちゅうもんはなぁ、目的地に人とかモノを運んだら出発地点に戻ってはじめて輸送システムなんだぞ!」と教えられたという。この訓令は「はやぶさ」の再突入カプセルにつながった。また、長友氏から新しいことに挑戦することを学んだ牧野氏は、キヤノン電子の坂巻久氏と宇宙宅配便のスペースワンを設立している。
学生時代の八坂哲雄氏はロケットエンジンを研究していた糸川研究室に入りたかった。しかし、1名の枠しかなくじゃんけんに負けて別の教室に入ることになったが、ロケットプロジェクトに別の専門家として参加し、糸川さんの薫陶も受けたという。その後、九州大学航空工学科の教授となり、定年後に高精細小型レーダー衛星のQPS研究所を創業した。
このように、糸川さんの人生の扉の鍵をもっていた谷先生、長友氏や八坂氏の人生の扉の鍵をもっていた糸川さん、米本氏や牧野氏の人生の扉の鍵をもっていたのが長友氏。そして、現在の宇宙ベンチャーにも、人生の扉の鍵をもつ人との「出会い」が脈々と伝わっている。
(2)創造性の4つの階段を上がる方法
mini-c*:学習プロセスの⼀部である個⼈内の創造性
little-c*:他者への貢献がある⽇常的な創造性
Pro-c*:専⾨分野での創造性
Big-C*:社会を変える⾰新的な創造性
*クリエイティビティ(creativity)の「c」
この図は、有名なJames C. Kaufmanの創造性の“4Cモデル”(Kaufman, James C., and Ronald A. Beghetto. “Beyond Big and Little: The Four C Model of Creativity.” Review of General Psychology 13.1 (2009): 1-12.)をわかりやすくしたものだが、創造性の発展にはこのような4つの階段がある。この階段を一段づつ上がるための方法として、次の3つが明示されている。
Tinkering:mini-cからlittle-cへ
Tinkering(ティンカリング)とは、あらゆる模索や経験を積むことを指す。うまくいくいかないは別にして、いろいろ試してみたり失敗したりすることで、個人の創造性(mini-c)を他者への貢献があるレベルの創造性(little-c)へと1段上げることができる。
Informal Apprenticeship:little-cからPro-cへ
非公式な専門分野の師弟関係から、他者への貢献レベル(little-c)の創造性を専⾨分野での創造性(Pro-c)へと1段上げることができる。
Formal Apprenticeship:mini-cからPro-cへ
公式な専門分野の師弟関係から、個人のアイデアレベル(mini-c)の創造性を専⾨分野での創造性(Pro-c)へと2段上げることができる。
東大で糸川研究室に入った長友氏は、宇宙・ロケット開発が専門分野の糸川教授と長友院生という公式な師弟関係から人工衛星おおすみを打ち上げ、その後にPro-cとして電気推進エンジンや液水/液酸エンジンを生み出した。次に有人スペースプレーンが成功すれば、長友氏のミームは社会を変える⾰新的な創造性(Big-C)に昇華したと言えるのだろう。
私の場合は糸川研究室に属していないので、糸川さんを創造性組織工学(Creative Organized Technology)の師匠としている非公式な師弟関係(弟子であるかどうかは第三者の判断に任せるというスタンス)になる。現在は、他者への貢献レベルの創造性(little-c)の成果として『仕事を減らす』『糸川英夫のイノベーション』『ロケットの父「糸川英夫」から学ぶイノベーションの本質』から、次の専⾨分野での創造性(Pro-c)の階段に上がるため『日本の強みを取り戻す「価値創造」実践講座』(JBPress連載)に取り組んでいる。
創造性を専門とするJames C. Kaufmanは、4つの階段を上がるためには、公式であれ非公式であれ専門分野の師弟関係が必要だという。同じように糸川さんは、『驚異の時間活用術』で次のように書いている。
「人生の扉を開く鍵を持った人は、必ずいると思う。その鍵を持った人に出会うことが、決定的に重要である。では、どうすれば、そういう人に出会うことができるのだろうか? 結論を先にいえば、自分の尊敬する人物に、徹底的にあこがれることだ。まるで片思いのように、なにがなんでも心の底から敬愛することだ」
(3)前例がないことをやる力
創造性やイノベーションには、前例がないからこそやろうというイノベーションの第2法則 反逆の精神(『糸川英夫のイノベーション』参照)が必要になる。前例がないことは必ず反発が起きる。反発が起こると孤立する。だからイノベーションは生まれにくい。そんなとき、直属の上司が前例のないことに理解を示してくれれば何の問題もない。しかし、そのようなことは期待できないことが一般的だ。となると、組織上遠くにいる上司の上司の上司などの理解が必要になる。
そもそもJAXAが新しいことに挑戦し続けられるのは、ロケット開発の創業者である糸川さんが前例がないからこそやってみようというイノベーターだったからだ。そのミームは長友氏のような弟子に伝わり、世代を超えて新しいイノベータを生んできたが、そういう歴史をもつ日本の組織は少ない。ならば、人生の扉の鍵をもつ人との出会いを社外に求めるしかないということになる。
社内であれ社外であれ、国内であれ海外であれ、自分が尊敬できる人物を見つけること、敬愛できる人物と出会うことが決定的に重要なのだ。会社の中で変革を起こすことも世に自分を問うことも、一個の独立した社会人として自分の才能を開花させる挑戦には、人生の扉の鍵をもつ人との出会いが必要だと糸川さんは断言する。
(4)谷一郎、糸川英夫共著
糸川さんが飛行機会社を辞めた10日後の12月8日は真珠湾攻撃の日だ。奇襲の成功は糸川さんが空力設計をした九七式艦上攻撃機からトラトラトラと打電された。真珠湾は水深が12メートルと浅いため、攻撃機は魚雷を水面すれすれから発射し、10メートル以上深く潜らないように設計する必要があった。それを実現するため、糸川さんは九七式艦上攻撃機の設計に谷先生の地面効果理論を取り入れた。
なんと、開戦の数年前にNASAの前身からの依頼で、艦載機設計に使われたこの理論についての2人の論文が米国で発表されていたのだ。そして、谷先生の推薦によって糸川さんは東大第二工学部(後の生産技術研究所)の助教授となった。あと10日遅ければ、戦時における現場徴用令で永久に工場に釘づけになるしかなかったという。まさに谷先生が、東大ロケット開発(Big-C)につながる糸川さんの人生の扉を開く鍵をもった人だったのだ。
次回はCreative Organized Technologyのフローチャートにある失敗研究についてまとめてみたい。
【著者プロフィール:田中猪夫】
岐阜県生まれ。糸川英夫博士の主催する「組織工学研究会」が閉鎖されるまでの10年間を支えた事務局員。Creative Organized Technologyを専門とするシステム工学屋。
大学をドロップ・アウトし、20代には、当時トップシェアのパソコンデータベースによるIT企業を起業。 30代には、イスラエル・テクノロジーのマーケット・エントリーに尽力。日本のVC初のイスラエル投資を成功させる。 40代には、当時世界トップクラスのデジタルマーケティングツールベンダーのカントリーマネジャーを10年続ける。50代からはグローバルビジネスにおけるリスクマネジメント業界に転身。60代の現在は、Creative Organized Technology LLCのGeneral Manager。
ほぼ10年ごとに、まったく異質な仕事にたずさわることで、ビジネスにおけるCreative Organized Technologyの実践フィールドを拡張し続けている。「Creative Organized Technology研究会」を主催・運営。主な著書『仕事を減らす』(サンマーク出版)『国産ロケットの父 糸川英夫のイノベーション』(日経BP)『あたらしい死海のほとり』(KDP)、問い合わせはこちらまで。