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宇宙で生成した「タンパク質結晶」を創薬に生かす–ISS実験をJAXA担当者やSpace BDに聞く

2024.04.04 09:00

藤井 涼(編集部)日沼諭史

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 国際宇宙ステーション(ISS)を構成するモジュールの1つである「きぼう」日本実験棟では、数々の重要な実験が行われている。“微小重力”という特殊な環境は、地上では困難な実験も可能にする世界でも数少ない貴重な実験室だ。

 そんなきぼうで行われている実験の1つが、JAXAによる「高品質タンパク質結晶生成実験」(通称:「PCG」)。水分を除くと、人体の大部分を占める物質でもあるタンパク質だが、重力の影響が少ない場所では高品質な結晶化が可能になり、それを利用することで難病の治療薬開発などに役立てられる可能性がある。

「高品質タンパク質結晶生成実験」で得られたタンパク質の立体構造(通称:「PCG」)

 ところが、タンパク質をきぼう日本実験棟に持ち込めば結晶ができあがる、という単純なものではない。事前に数カ月から年単位の地道な下準備が必要なうえ、繊細なタンパク質を正しく扱い、ロケットで打ち上げ、実験棟内で結晶化した後、再び地上に安全に降ろすといった手順も不可欠。それには宇宙と化学の両方の知識・ノウハウが求められる。

 そうした任務を負っているのが、筑波宇宙センター内にある地上研究室だ。宇宙での実験の成功率を高めるため、地上の実験室では一体どのようなことをしているのか、同センターの主任研究開発員である木平清人氏と岩田茂美氏に聞いた。

JAXA 有人宇宙技術部門 きぼう利用センター 主任研究開発員の木平清人氏(左)と岩田茂美氏(右)

なぜ、タンパク質の「結晶化」に宇宙が必要なのか

 筑波宇宙センターにある地上研究室は、JAXAがきぼう利用の成果最大化を目的に制定した「きぼう利用戦略」の重点的な取り組みである新薬設計支援プラットフォームの中核を担う施設で、5年前の2019年に「もともと倉庫だったところを研究室に改装した」もの。JAXAは基本的に自身で実験するというよりは、他の企業や研究機関が作成した実験サンプルのやりとり、およびISSへの打ち上げに関わる関係各所との調整業務をメインにしているが、同研究室は「企業や研究機関などと一緒に実験していくスタイルが、JAXAの他のプロジェクトとは異なる」という。

 扱うものはタンパク質で、主目的は創薬だ。生命が生命であるために必要なものがタンパク質であり、「遺伝子=タンパク質の設計図」と言い換えることもできる。人間は10万種類ものタンパク質から構成されていると言われ、それら1つ1つの構造を解き明かすことで、タンパク質に異常が発生したとき、つまりは病気になったときの対処法も考えることができる。たとえば、異常のあるタンパク質の構造に合わせて、その異常を抑える構造をもつ化合物を作ることができれば、それが薬になるからだ。

 タンパク質の構造に合わせた創薬の取り組みは、世界中の研究室で日常的に行われていることだが、タンパク質の分子は何万もの原子からなる複雑な構造であり、それがはっきりと見える形にならなければ、化合物とどう結合させられるかもわからない。そこで、はっきり見える形にするためにタンパク質をきれいな高品質の結晶にする必要が出てくる。

 結晶化するには主に「水分を蒸発させる方法」と「タンパク質の溶解度(水への溶けやすさ)を変化させる沈殿剤を加える方法」の2通りがあるという。前者はタンパク質が温度によって変質しやすいことから、基本的には後者の沈殿剤を利用する方法が用いられる。ただ、沈殿剤自体も候補となるものが無数にあり、タンパク質の種類によって、そのうちのどれが高品質な結晶化に向いているかは実際に試してみなければわからないという。「なんとなく経験的にノウハウが蓄積されている」ことから、ある程度絞られる場合もあるとはいえ、数万パターンをさまざまに条件を変えながら試さなければならないことに変わりはない。

タンパク質結晶化プレート。左が手作業で使うもので、右が機械で使うもの
機械にプレートを流し、1つ1つの凹み(ウェル)にタンパク質と沈殿剤を自動で載せていく
こうした機械化により20倍以上の作業効率アップが図れるという
専用の貯蔵庫に入れ一定温度で保管。一定時間ごとに自動で撮影しデータベース化されるため、結晶の様子をいつでも確認できる

 こうした途方もない膨大な量の実験を地上で繰り返し、最適な沈殿剤や条件を突き止めるのに、数年、ときには数十年かかることもある。そして、そこまで時間をかけたところで結晶ができあがるとは限らず、できあがったとしても構造がわかりやすい高品質な結晶になるとも限らない。

 高品質な結晶ができにくい原因の1つとなっているのが、地上の重力による水分などの「対流」だ。したがって「対流をなくす=重力の影響を減らす」ことができれば、より高品質な結晶ができあがる確率が高くなる。

 重力の影響がほとんど無視できる場所といえば、微小重力下にある軌道上のISSだ。ISSにタンパク質と沈殿剤を入れたサンプルを持ち込み、宇宙で結晶化すれば、地上よりも高品質な結晶を生成できると考えられている。タンパク質の構造がよりはっきり見えるようになり、病気の原因となる部分を突き止め、それにマッチする化合物の検討を進めやすくなるというわけだ。

地上では対流が発生し、不純物を取り込みやすい。重力の影響が少ない軌道上であれば高品質な結晶が作りやすい(出典:JAXA)

成果が出るまで「数十年かかる」気の長いプロジェクト

 JAXAは企業や研究機関から実験サンプルを預かり、ロケットで打ち上げ、きぼう日本実験棟に持ち込んでタンパク質の結晶化実験を行っている。きぼう利用センターの役割の1つは、そうした実験サンプルをISSに持ち込む前に、地上において「宇宙で可能な限り確実に結晶化できるようにする」ための前準備となる実験を行うこと。なぜなら、少なくとも地上で結晶ができなければ、宇宙でも高品質な結晶はできないためだ。

顕微鏡を使い結晶化したタンパク質を確認しているところ
宇宙でも確実に結晶化できると判断できたものは、このような細長いパッケージに封入される
実験用サンプルは保温ケースに入れられる。1つに100~200のサンプルを収納可能。ISSの宇宙飛行士は、こうしたケースを輸送機から取り出しきぼう日本実験棟の所定の保管場所に収めるだけなのだとか

 「最低限、地上ではほぼ完璧に結晶化できる、というものになるまで実験する」、もしくは「3回のうち1回出ることがわかれば、サンプルを3個打ち上げればいい」ことになるため、その段階になるまで最適な条件を突き詰めていく。ただし、先述の通り結晶ができあがるかどうかは未知数。結晶化できなければ当然ながら宇宙には打ち上がらない。結晶化できて構造がはっきり見えたとしても、化合物の候補となるものが100万あるとすれば、そこから最終的に適切なものが1つ見つかるかどうかの低確率で、多くの場合はゼロだ。

 「すごくうまくいっても(創薬などにつながる)成果が出るまで10年、20年以上」という長い年月がかかるプロジェクト。しかし、たとえ目標となる成果につながらなくても、JAXAに地上実験を依頼したり、きぼう日本実験棟で結晶化させることの意義は大きい。「最初の100万の候補を数千くらいまで絞ったり、研究のサイクルを早めたりすることに貢献できる。サイクルを早めることがビジネスにおいては重要で、“いかに早く諦めるか”も大事」だからだ。この方法では解決できない、と諦められることで「他の集中すべきところに集中できるようになり、それが事業の継続性につながる」と言うこともできる。

できあがった結晶を宇宙から持ち帰った後は、あらゆる角度からX線を照射して“写真”に撮る
撮影したデータを元に再現されたタンパク質3次元構造。これに対して適切に働く化合物を検討していく

 これまでJAXAが関わってきた創薬の事例として代表的なものは、「デュシェンヌ型筋ジストロフィー治療薬の開発」。基礎研究は数十年前からスタートしており、地上での実験によって、筋ジストロフィーの原因となる特定のタンパク質の機能を制御する化合物の候補が見つかったところで、きぼう日本実験棟で結晶化を行った。それが10年以上前のことだ。

 そこで明らかになったタンパク質の構造をもとに、地上で民間企業によるブラッシュアップがさらに進められ、臨床第三相試験が終了。現在は長期影響の評価中とのこと。筋ジストロフィーの治療薬が登場する日は遠い未来のことではないかもしれない。

JAXAの「ノウハウ」を民間企業に移管

 こうした地上実験の技術を磨いてきた一方で、JAXAではそれより以前から輸送などのマネジメントに関する部分でもノウハウを蓄積してきた。温度に敏感なタンパク質を変質・破損させることなく射場まで運搬し、ロケットでISSに届け、結晶化したものを再び安全に地上に戻す。そして最後に、実験の成果を実物やデータの形で顧客に引き渡す。「地上実験の技術と実験サンプルを往還させるノウハウ、その両輪を兼ね備えた」ことで、成果の出る宇宙実験サービスとして成立させ実績を積み重ねてきた。

 それらを確立できた今、JAXAの技術・ノウハウは民間パートナーとして選定された宇宙ベンチャーのSpace BDに移管(「Space BD ライフサイエンスサービス」として展開)することが進められている。マネジメントや実験に加えてクライアント獲得のような営業活動など、PCGに関わる実務が民間企業の創意工夫で行われている。「民間企業が将来的に自立してこの事業を運用できるようにする」ことを目的に、「そういった事業が成り立つのかどうか、あるいはどうしたらビジネスとして成り立つ仕組みにできるかを検証している」最中だという。

 実際にSpace BDで同事業を推進している、ISSプラットフォーム事業ユニット長(マネージャー)の山崎秀司氏、PCGオペレーション統括(マネージャー)の高橋大介氏に話を聞いた。

PCGを担当するSpace BDの山崎秀司氏(左)と高橋大介氏(右)

400サンプルをISSに打ち上げ–利用者を増やす工夫とは

 JAXAの民間パートナーとしてPCGの事業を共に実施しているSpace BDは、以前からきぼう日本実験棟の船外における小型衛星放出など「船外プラットフォーム」運営事業者としてJAXAに関わってきた。そこで培った事業開発力も生かす形で、2020年後半のJAXAの公募をきっかけに、PCGという「船内活動」にも踏み出している。

 Space BDが当初保有していなかった科学的な知見については、JAXAやパートナー企業の丸和栄養食品からもアドバイスをもらいつつ、企業や研究機関から実験用サンプルを募集し、年に1〜2回程度のペースで打ち上げてISSに届けている。すでに「400サンプルを軌道上に打ち上げている」そうで、国内だけでなくアジア各国の研究機関からの実験用サンプルも含まれている。

同社がロケット射場でPCGに関わる作業をする様子

 マネジメント以外には、実験用サンプルの地上での高品質化のほか、研究者がもつアイデアをもとにしたサンプル作成から宇宙での実験、さらには構造解析など、一連の工程を担うサービスも展開している。JAXAがこれまで進出していなかったAI創薬の企業にもアプローチするなど、JAXAから移管された事業が中心となって着実に事業の幅を広げており、JAXAがこれまで行ってきたPCG事業の大部分をすでに引き受ける形になっているそうだ。

 「今はあくまでも宇宙産業の拡大期、投資のステージだと理解している」ことから、低コストかつスピード感のある対応を目指しているため、現時点では「あまり利益は取っていない」という。宇宙実験が終わった後、具体的な成果につながった例はまだ多くはないが、Space BDが手がける中で「次のプロジェクト、次のステージに進んだ」ところはもちろん、繰り返し利用するリピーターも少なくないという。

 宇宙で可能な実験プラットフォームとしては「圧倒的に早くて安い」のが利点。サンプル提供から宇宙に運んで結果として戻ってくるまで、一般的に1~2年以上は時間がかかるところ、早ければ半年間程度でこなせるうえ、「数百万円台の前半から」という低コストで利用できることも強みとして挙げる。企業が予算を確保しにくい時には、想定する実験のなかでも「マストなもの」に絞って実験内容を再設計し、短納期かつリーズナブルな価格で提案することもあるという。

展示会場でPCGを紹介する山崎氏

 きぼう日本実験棟への搭載スペースも含め、実験サンプルの受け入れ余力はまだまだあるとのこと。同社は「みんな将来的な宇宙の民営化を見据えて仕事をしている。宇宙はなぜこんなに時間やコストがかかるのか、と感じることもあるので、手頃かつ競争力のあるサービス内容と価格で提供できるように改善し、多くの方の宇宙利用に貢献したい」と意気込む。

官民連携で日本の宇宙利用は加速するか

 本稿では、JAXAの「高品質タンパク質結晶生成実験」、そして移管先であるSpace BD、それぞれの取り組みを紹介した。

 JAXAは既存事業の一部を民間に移管することと並行して、従来扱っていた水溶性のタンパク質とは異なる「膜タンパク」を扱う実験など、新たなチャレンジも始めている。「性質が全く異なるので、1からノウハウを積み上げないといけない」が、創薬をターゲットとするにあたっては避けられない選択肢だ。

 将来的にこの膜タンパクに関わる実務部分も軌道に乗った暁には、Space BDなど民間企業に移管し、新規技術開発と商用化のサイクルを確立させる青写真を描いているという。日本の宇宙利用が発展していくかどうかは、こうした官と民の連携が成功するかどうかにもかかってきそうだ。

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