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「宇宙ゴミに史上初の罰金」のニュースが本質を見誤っているワケ–静止軌道の運用ルールを解説(秋山文野)
2023.10.11 07:30
2023年10月2日、米連邦通信委員会(FCC)は、人工衛星のスペースデブリ対策に関わる違反行為により、衛星通信事業者DISHに対して15万ドル(約2200万円)の罰金を課すと発表した。衛星の軌道離脱に関連して罰金が発生したのはFCCにとっても初めての事例だという。
しかしこの事例は、2万個以上の物体が秒速7km以上の高速で飛び交い、国際宇宙ステーションなど有人の施設にも微細な破片が衝突している地球低軌道(LEO)での宇宙ごみ(スペースデブリ)の問題とは性質が異なる。どちらかといえば、静止軌道という有限の資産を長期的にどう維持、管理していくかというルールと運用の問題だ。
これまでの経緯とDISHが負った義務、そして今後の「軌道上サービス」というビジネスの可能性について解説する。
罰金の対象「エコースター7」とは
FCCの罰金の対象となったのは、DISH(打ち上げ時はEchoStar)が2002年に打ち上げた「EchoStar-7(エコースター7)」という通信衛星だ。同衛星は西経119度の赤道上空に位置し、米国からプエルトリコを対象に通信放送サービスを提供していた。
当初の衛星の寿命は12年程度と想定されていたが、2012年にDISHは2022年までの運用延長を計画し、運用終了の際の軌道離脱計画をFCCへ提出して了承された。
運用延長と軌道離脱計画がなぜ必要なのかといえば、これは静止軌道という軌道の性質による。
静止軌道(GEO)とは、赤道上空の高度約3万5800kmを秒速約3kmで周回する軌道で、衛星が1周回する時間は23時間56分4秒と地球の自転と一致している。このため、地表のある場所からは、衛星が常に同じ位置にいるように見える。衛星からは、地上の一定地域に安定して電波を送ることが可能だ。
10分程度で衛星が飛び去ってしまう地球低軌道(高度2000kmまで)と異なり、静止軌道は通信放送衛星や気象衛星にとっても都合の良い軌道なのだ。安定して衛星放送を視聴したり、気象衛星が日本上空で定点観測したりできるのは静止軌道だからこそだ。
静止軌道はそもそもデブリが発生しにくい
静止軌道を利用したいという要望は多く、国際電気通信連合(ITU)は静止軌道をスロットという単位に分割して、隣接する衛星の周波数が干渉しないように管理している。干渉を避けるためには衛星を2度間隔で距離を保って利用することになっている。
360度の軌道を2度で割ると計算上は180機の静止衛星が利用できることになるが、実際は人口の多い陸域の上空のスロットに要望が集中するため、順番待ちや権利関係の調整が常に発生している。衛星の運用終了後は次の衛星のために速やかに軌道から離脱することも求められる。
一方で静止軌道へ衛星を打ち上げるには多くのエネルギーを必要とし、低軌道の衛星に対して非常に負担が大きい。また、静止衛星で安定して衛星を運用するには、エンジンを噴射してわずかな軌道のズレを修正するステーションキーピングという作業が必要だ。そのために運用期間中に必要な推進剤を搭載する必要があり、運用期間の長さに応じてより多くの推進剤が必要になる。
総じて静止衛星は3トン、4トンといった大型の衛星が多く、衛星開発費は数百億円と高額で打ち上げ費用も高い。簡単に代替の効かない資産であるため、10年、15年と1機の衛星をできるだけ長く運用したいというインセンティブが働く。
つまり、静止衛星はLEOの衛星に比べてはるかに数が少なく、間隔を保って飛行しており、交代する頻度は低い。その意味では、衛星やロケットの残骸が衝突するといったスペースデブリ問題はLEOよりも発生しにくい。ESAの報告によれば、観測によって番号をつけられたLEOの物体は急激に増えつつあり2万個を越えているのに対し、GEOのオブジェクトははるかに少なく、増え方も横ばいに近い。
推進剤不足で墓場軌道に移動できないことが判明
運用を終えた衛星が静止軌道から離脱する際には、国際宇宙機関間スペースデブリ調整委員会(IADC)のガイドラインでは静止軌道の上下200kmの「保護域」から十分に距離をとり、100年以内に何かのはずみで保護域に入ってしまわないよう上方に離脱することとなっている。
実際には、静止軌道から300km外側の「墓場軌道」と呼ばれる軌道に移動することになる。移動に必要な推進剤の量は、およそ3カ月分のステーションキーピング用の推進剤量に相当する。
DISHの軌道離脱計画も、こうした墓場軌道に移動する標準的な方法に沿ったものだった。FCCの詳細資料によれば、DISHは2012年4月から2022年4月まで10年間の運用を延長しても、軌道離脱計画のために11kgの推進剤をキープできると考えていた。運用終了の目標は2022年5月だった。
2022年2月、DISHは衛星を製造したロッキード・マーティンに支援を依頼しつつ軌道離脱の準備を始めた。ところが2月末に衛星の推進剤がもうほとんど残っていないことや、すぐにでも軌道離脱を始めなくてはならず、計画通りの運用終了はできないことが判明した。
そして2022年5月、DISHはFCCに対して軌道離脱のためのエンジン噴射は静止軌道から122kmまで到達したところで終了し、300km外側の墓場軌道まで到達できなかったことを報告した。
報告後を受けてFCCは調査を実施し、DISHがFCCに提出したエコースター7の運用終了計画を完了できなかったと結論づけた。15万ドルの罰金はこの点に対して課されたものだ。
静止軌道からの離脱失敗は「初の事例」ではない
さらに、DISHはさらなる努力も求められている。ひとつは、メーカーのロッキード・マーティンと協力して、「最後の1滴まで推進剤をしぼり取る技術を開発せよ」というもの。タンクからスラスターまでのどこかに少しずつ残っている可能性のある推進剤を寄せ集め、残量が少なくなっても移動を可能にできるようにせよという内容だ。
2025年6月まで3回にわたってこの技術に関する報告書を提出しなくてはならない。もうひとつは、DISHが保有する他の静止通信衛星の軌道離脱計画の見直しだ。将来に同様のことがあってはならないため、これは当然の措置だろう。
FCCは罰金をはじめとする一連の命令を初の事例としているが、これはDISHが静止衛星の軌道離脱に失敗した最初の例ということではない。実は最近でも、軌道離脱失敗は年間にそれなりの件数起きていることを示す資料がある。
ESAの2022年版宇宙環境レポートでは、ペイロード(衛星)がIADCのルールに沿って適切に運用終了に静止軌道から距離を取ることできたかどうかを集計している。
衛星の廃棄ルールに対する認識が今より薄かった2000年代の初めごろには、年間11、12件程度の衛星運用終了の際、ほとんどが軌道離脱を完了できなかった、またはそのために行動していなかったという数字が出ている。だんだんと改善され、エコースター7の軌道離脱計画が作られた2012年には、IADCのルールに沿って静止軌道を離脱できなかったのは15件中6件となった。
その後さらに失敗は減ってきたもののばらつきもあり、2022年には17件中6件で軌道離脱が不十分、そして1件はそのための行動を取っていないという結果で、10年前の水準に戻ってしまっている。
この統計は、衛星を運用する国や運用組織ごとの集計にはなっておらず「お行儀の悪い」静止衛星オペレーターが誰なのかはわからない。
とはいえ、世界で初めて静止軌道を利用した国である米国が襟を正し、軌道離脱が不十分だった場合にペナルティを課して事業者の努力を促すというのは十分に意味のあることだ。DISHは1995年の「EchoStar-1」以来、多数の静止衛星を運用してきたオペレーターで、模範を示すべき立場だ。
一方で、今回のペナルティは実は軽微で、DISHの対応に余裕をもたせる措置だとも受け取れる。2022年の営業利益が26億ドルを超えるDISHにとって15万ドルの罰金は経営にダメージというレベルではないし、他の静止通信衛星に対しての措置も運用終了計画の見直しであり、衛星事業から退場を迫るようなものではない。
「宇宙のレッカーサービス」事業者には好機
エコースター7は静止軌道の保護域から出ることができていないため、他の衛星事業者からもっと抜本的な対応を取るべきだ、という意見が提出される可能性があるだろう。しかし自力での移動はできないとなれば、「宇宙のレッカーサービスを呼べ」ということになる可能性がある。
宇宙のレッカーサービスとは、人工衛星にドッキングしてある軌道から別の軌道へと移動させる能力を持った衛星のことだ。
2020年にNorthrop Grumman(ノースロップ・グラマン)の「MEV-1」は静止軌道で通信衛星事業者のIntelsatの通信衛星「IS-901」にドッキングし、運用期間を延長させることに成功した。
こうした衛星をノースロップ・グラマンは「衛星サービス・ヴィークル」と呼んでいる。運用を延長する「衛星寿命延長サービス」も、運用終了時の支援も同じタイプの衛星で可能になり、一般的にはこうした機能をまとめて「軌道上サービス」と呼んでいる。
衛星の寿命を延長すれば、通信衛星はさらなるビジネスが可能になるため、コストをかけてでも軌道上サービスを利用する意味がある。しかし軌道離脱に失敗した衛星の移動の場合は、もはや利益を生まない。衛星を移動させるために他社から静止軌道まで衛星を1機調達しなければならないことになり、コストだけがかかるため、本音ではDISHはやりたくないだろう。
しかし米国政府の視点に立ってみれば、静止軌道のルール遵守という姿勢を示すことができる上に、軌道上で他社の衛星とドッキングして移動させるという非常に機微な技術の経験を米国の事業者どうしで積ませることができる。この対応が静止軌道を守るベストプラクティスだということになれば、成功例を持つノースロップ・グラマン(事業を行うのは子会社のSpace Logistics)が候補に上がる可能性は高い。
日本発の軌道上サービス企業、アストロスケールの米国子会社Astroscale U.S. も衛星の寿命延長や軌道上での推進剤補給といったサービスに参入しようとしており、2023年9月には米国宇宙軍と実証事業の契約を結んだ。
民間企業からサービスを受注できるまではまだ時間がかかると思われるが、米国の姿勢が静止軌道の保護に厳しくなれば、実証に成功した企業から軌道上サービスのプロバイダーとして事業を展開していくことになるだろう。